祈(いのり/inori)の手控え

本の考察(もとい妄言)を気ままに書く手控えです。 村上春樹作品多めの予定。

【自分語り】オタク回:#名刺代わりの村上春樹作品10選について

ごきげんよう、祈(いのり/inori)です。

実は細々とTwitterもやっているのですが、先日こんなタグを見つけまして。

これはやるしかない!ということで、わたしも便乗させていただきました▼

実はこのタグを見つけるまで、自分の中で好きな順のランキングを考えたことはなく(←初読者おすすめ順は作りましたけどね。反響多くて嬉しかったです♪)、

いい機会なのでブログでも残しておこうと思いました。

 

ということで今回は特別編!個人的好きな作品TOP10と、各作品への思い入れのようなものを語っていくゴリゴリのオタク回です。

春樹作品って(というより読書全般そうかも?)、そのときの読み手の心境によって響く部分が変わることが魅力の1つだと思っています。

後々見返した時に「あ、当時はこんな心境だったんだな」と思い返せるかなと…ほぼ日記ですね。

 

めちゃめちゃ長いので、気になる箇所だけ拾い読みしてくださいませ。

それから、考察とか一切ございませんので、そのつもりでよろしくお願いします!

(以下、10位から書いていくため、上記画像の投稿順とは逆になることをご了承ください。

 

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◆10位:日々移動する腎臓のかたちをした石

[基本情報]

◯初出は『新潮』2005年6月号。

◯短編集『東京奇譚集』収録。

◯あらすじ…「男が一生に出会う中で、本当に意味を持つ女は三人しかいない。それより多くもないし、少なくもない。」16歳のとき、父親からそう告げられた淳平は現在31歳の小説家。ある日、知人のパーティで年上の女性・キリエと親しくなり

 

[好きな理由など]

これはひとえに考察が捗るからという理由が大きいですね。

登場人物の設定が明らかに短編「蜂蜜パイ」と関連していますし、『海辺のカフカ』的要素も見られるし、『東京奇譚集』という作品全体で見たときの気になりポイントもあるし…ということで、わたしにとっては知恵の輪としての魅力度が高過ぎました。近いうちに考察記事にします!

 

加えて、単純に物語としても魅力的ですよね。ちょっと恋活・婚活っぽいというか。

選んだお相手が理想のお相手かどうかの期待値は、確率論的に計算することができるそうですが<√n(n:一生のうちに出会うお相手の数)+1人以降の人が、√n人の人たちよりステキだと思ったらその人が理想の相手である可能性が高い、とかだったはず>

自分が一生のうちに出会うお相手の数がわかっていないと成り立たないんですよね。

「見逃すべきか、あるいはスイングするべきか?」という淳平の戸惑いがちょっと理解できなくもない…かな?

スイングしたとて自打球がいいとこであろうわたしからすれば、羨ましいお話。

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◆9位:木野

[基本情報]

◯初出は『文藝春秋』2014年2月号。

◯短編集『女のいない男たち』収録。

◯あらすじ…親しくしていた同僚と妻の不倫現場を目撃したことを皮切りに会社を退職した木野は、伯母から店を引き継ぐかたちでバーを開く。猫、坊主の男、(元)妻…とさまざまな存在が行き交うバーに、やがて秋がやってくる。

 

[好きな理由など]

これも考察が捗るからという理由が大きいです。特になんとも言えない神話性がたまりません…!

春樹作品って、どちらかというと西洋的な神話感を持っている作品が多いイメージなのですが、これはなんとなく日本神話的空気を感じるんですよね…日常の隙間にぬるっと入り込んでくる感じが、神の世界と人間の世界を厳密に分ける西洋的なものとは違うのではないかと。

 

それから、傷つくべき時に傷つかないと後にひずみがでるという、春樹作品に時折見られるテーマがはっきり示されている点も好きです。

わたしたちはしばしば「傷ついていないよ、平気平気!」と強がってしまいますが、たまには弱いところを見せてもいいのかもしれないですね。

…ハァ、社畜生活やめて、木野みたいなバーやっちゃおうかな〜!←お酒飲めないけど

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◆8位:踊る小人

[基本情報]

◯初出は『新潮』1984年1月号。

◯短編集『螢・納屋を焼く・その他の短編』『象の消滅』などに収録。

◯あらすじ…ある時から「僕」の夢には小人が登場するようになる。勤めていた工場に入ってきたとびきりの美人に踊りの誘いを断られてしまったその夜、夢の中にまた小人が現れて、「頼みがあるんじゃないの?」と尋ねてきて…

 

[好きな理由など]

ランクインの理由は考察が捗るから。こればっかりですね、済みません…

同じ人が選んでいるんだからそれはそうか…

ただ、この作品ならではの特徴として圧倒的な寓話性が挙げられると思います。『グリム童話』とかに入っていても違和感のないレベル。

 

そして、そのような世界観でありながら、物語の”お約束”を破壊しているんですよね。

初めて読んだときからこのミスマッチ感がずっと引っかかっていて、非常に心に残っている作品です。近いうちに記事にすると思います。

 

「踊り」とか「象工場」とか、原理主義者なら必ずハッとするモチーフが多いこともポイント。

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◆7位:スプートニクの恋人

[基本情報]

◯初出は1999年4月20日講談社より刊行。

◯あらすじ…22歳のすみれが生まれて初めて恋に落ちた相手は、17歳上の既婚女性「ミュウ」。小学校教師の「ぼく」も大学ですみれと知り合って以来、すみれに恋をしていたが…

 

[好きな理由など]

ここに来てはじめて長編小説がランクイン!

理由は2つ。ギリシャの描写が美しいこと②圧倒的に刺さる文章があることです。

 

①について、村上春樹先生は本当に風景の描写がお上手ですよね(当たり前)。

『雨天炎天』に、実際にギリシャの島を旅行された際の紀行文も載っているので読んでみてください。旅したくなる!

 

そして②。大袈裟でなく、わたしの人生に影響を与えてくれた文章がこちらです。

(p.179 l.1-7)わたしたちは素敵な旅の連れであったけれど、結局はそれぞれの軌道を描く孤独な金属の塊に過ぎなかったんだって。(中略)ふたつの衛星の軌道がたまたまかさなりあうとき、わたしたちはこうして顔を合わせる。あるいは心を触れ合わせることもできるかもしれない。でもそれは束(つか)の間のこと。次の瞬間にはわたしたちはまた絶対の孤独の中にいる。いつか燃え尽きてゼロになってしまうまでね」

 

はい、最高。神。言葉が続きませんよ…

わたしは(恋人や友人に限らず)理想的な人間関係を”公倍数的人間関係”と勝手に呼んでいるのですが、それを美麗に言い換えていただくとこうなるのでしょうね。それぞれの軌道・ペースを保ったままで、重なり合う瞬間だけは一緒にいましょうよ、という関係。

わたしは嫌な子供だったので幼少期からこのような考えを持っていて、それをしばしば非難されたものですが、この文章に出会って本当に救われました。「ほら、村上春樹だって言ってるじゃん!」って言えますからね(笑)。100万の味方を得た思いです。

それに、この考え方って悪いものではないと思うんですよね。重なり合う瞬間が一瞬だとわかっているからこそ、その間は相手のことを大事にするし、たとえ相手を受け入れられずとも「まあ一瞬だし」と思って、衝突なく穏やかに過ごせる。

自分語りが過ぎましたね、続きます!

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◆6位:色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

[基本情報]

◯初出は2013年4月12日。文藝春秋より刊行(奥付の発行日は4月15日)

◯あらすじ…多崎つくるは高校時代、名前に色が入った4人と行動を共にしていたが、大学2年のある日、一方的にグループから追放されてしまう。時は流れ、36歳になったつくるは2歳上の女性・沙羅と親しくなり、過去の出来事を打ち明ける。

 

[好きな理由など]

長編小説が続きます。

選出理由は①感情移入のしやすさ②灰田のキャラ③最後のエリのセリフあたりでしょうか。

 

①についてはあまり賛同を得られないことが多いのですが(笑)、わたしは結構つくるの行動原理に納得・共感する部分があるので、読みやすかったです。

7位の『スプートニク』が文章、後に登場しますが4位の『ノルウェイの森』が特定のパートが好き、という選出理由なので、物語全体という目で見るとこの『多崎つくる』が一番好きかもしれません

 

②について。好きなんです、灰田くん。

わたしも「ひとつの場所に縛りつけられることが好きじゃありません」し、自由を奪われたら「必ず誰かを憎むようになり」ますもん。

一晩語ろう、灰田くん。美味しいご飯を作っておくれ。皿洗いまでやってくれると嬉しいな。

 

そして③は言わずもがな、ですね。

(p.323 l.4-16)「つくる、君はもっと自信と勇気を持つべきだよ。(中略)ぜんぜん空っぽなんかじゃない」(中略)「たとえ君が空っぽの容器だったとしても、それでいいじゃない」(中略)「もしそうだとしても、君はとても素敵な、心を惹かれる容器だよ。(中略)それなら君は、どこまでも美しいかたちの入れ物になればいいんだ。誰かが思わず中に何かを入れたくなるような、しっかり好感の持てる容器に」

 

何度読んでも励まされる、これぞ名文。

春樹作品に登場する人物は、空虚さ・何者でもない感に悩みつつ、それが作中では明確に解決しないことが多いと思います。そんな中、”空白のままでいい”と語りかけるエリのセリフはとても珍しいのではないでしょうか。

▲ここからトップ5
画像:https://pixabay.com/ja/illustrations/%e5%87%ba%e6%bc%94%e8%80%85-%e4%ba%94%e3%81%a4%e6%98%9f-%e3%83%ad%e3%82%b4-%e3%82%a2%e3%82%a4%e3%82%b3%e3%83%b3-720213/

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◆5位:独立器官

[基本情報]

◯初出は『文藝春秋』2014年3月号。

◯短編集『女のいない男たち』収録。

◯あらすじ…「僕」のジム仲間・渡会(とかい)は、52歳の医師で、結婚歴なし。複数のガールフレンドを抱える優雅な独身生活を謳歌していたが、16歳年下の既婚女性に思いがけず深く恋してしまい…

 

[好きな理由など]

再び短編から。『女のいない男たち』の収録作品は、タイトル通りのどことない”喪失感”がいいですね。

 

本作の選出理由は人生の1つの完成形だと思うから。恋に殉ずるなんて、ちょっとステキじゃないですか。わたしが死ぬ時はこれか、マセラティで海に突っ込むかですね。

といってもこの話の場合はお相手がアレですし、自分もやりたいか?と聞かれると悩みますが…

知識や教養が深い人が好きなので、そういう部分は自分も取り入れたいなと思います。

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◆4位:ノルウェイの森

[基本情報]

◯初出は1987年9月4日。講談社より刊行。

◯あらすじ…37歳のワタナベは学生時代を回想する。直子、キズキ、緑…もう戻らない時代と、戻らない人々。生と死の渦の中で、ワタナベは翻弄されていく。

 

[好きな理由など]

わたし的長編小説1位がこちら、『ノルウェイの森』です。言わずと知れた代表作ですね!

ただ、この作品をわたし的1位に置くことには若干の迷いがありまして…

というのも、物語全体ではなく、特定のパートが好きという選出理由だからなんです。

 

具体的にいうと、下巻第8章・永沢さんの就職祝いのパートが大好きです。

事あるごとに読み返していて、誇張抜きに20回以上読んでるんじゃないかな…

 

これもあまり賛同を得られないのですが←こんなのばっか(笑)

永沢さん、ステキじゃないですか?

他人に後ろを見せるくらいならナメクジだって食べる、徹底したストイックさに本当に憧れます。

 

「不公平な社会というのは逆に考えれば能力を発揮できる社会でもある」

「自分と他人とをきりはなしてものを考えることができる」

「人が誰かを理解するのはしかるべき時期が来たからであって、その誰かが相手に理解してほしいと望んだからではない」

 

最っ高!わたしも負けていられない、強くならなきゃ!

世界に何人いるのかわからない、わたしは『ノルウェイの森』を自己啓発本として読んでいる人間なのでした。

▲いよいよトップ3!
画像:https://pixabay.com/ja/illustrations/%e3%83%a1%e3%83%80%e3%83%ab-%e5%8b%9d%e8%80%85-%e6%ba%96%e5%84%aa%e5%8b%9d-%e7%ac%ac3-1622902/

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◆3位:鏡

[基本情報]

◯初出は『トレフル』1983年2月号。

◯短編集『カンガルー日和』収録。

◯あらすじ…60年代末、肉体労働をしながら放浪生活を送っていた「僕」は、ある中学校の夜間警備の仕事を得た。ある日の見回り中、暗闇の中に何かの姿を見た「僕」が懐中電灯で照らした先には、「僕」がいた。鏡があったのだ。

 

[好きな理由など]

この作品はわたしにとって、村上春樹作品の楽しみ方を教えてくれた作品です。

少し自分語りをさせてください。←さっきからしているけど…

 

わたしが初めて読んだ村上春樹作品は『ノルウェイの森』でした。中学校3年生のとき、学校の図書室で見かけて「聞いたことあるタイトルだな」という理由で手に取ったのです。

しかしながら、当時は何を言っているのかさっぱり分からず、以来数年、春樹作品からは距離を置いていました。

 

転機が訪れたのは大学に入った時。

講義一覧の中に村上春樹を読む」という講義がありまして、「せっかくだしリトライしてみよう」と思って出席させていただきました。大学最初の授業でした。

そこで扱われた作品がこの「鏡」目から鱗の解釈の連続!

加えて、「春樹作品ってこうやって読めばいいんだ」という汎用的な読み方・コードのようなものもなんとなく理解することができ、大学というのは、ひいては学問というのはなんてステキなんだろうと思ったことをよく覚えています。字義通りの”啓蒙”、世界がパッとひらけて輝くあの感覚は、わたしの人生の中でも指折りの素晴らしい体験でした。

 

ということで、春樹作品の素晴らしさ、学問の素晴らしさに気付かせてくれた「鏡」が第3位!

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◆2位:品川猿

[基本情報]

◯短編集『東京奇譚集』書き下ろし。

◯あらすじ…安藤(旧姓:大沢)みずきは、ときどき自分の名前が思い出せなくなる現象に悩まされていた。品川区役所で「心の悩み相談室」が開かれているという記事を目にしたみずきは、カウンセラー・坂木の面談を受けることにする。

 

[好きな理由など]

この作品を好きな理由は3つ。

①名前を盗む猿がいるという設定の秀逸さ

②登場人物のキャラ立ち

③最後の1文

です。

 

①について、これは本当に秀逸ですよね。名前を盗む猿が都会にいて、しかもそれが名前に付帯する要素も一緒に取り去るという設定

小説という形態を取っていますが、設定そのままで見せ方を変えたら映画や漫画にもできそうな気がしてきます。主人公が実はピンポイントで名前を盗られていて、都合のいい間違った記憶を覚えていた…とか、バトルものにして、実は主人公本来の能力があったのだ…みたいなね。厨二病で恐れ入ります。

 

②も①と合わせて、この作品のエンタメ的面白さに一役買っていると思います。お猿もどこか憎めないし、坂木夫妻や桜田くんも面白い。桜田くんみたいな脳筋タイプは嫌いじゃないです。

 

そして③。ここが個人的には一番の推しポイントかもしれません。

(p.246 l.7-9)ものごとはうまく運ぶかもしれないし、運ばないかもしれない。しかしとにかくそれがほかならぬ彼女の名前であり、ほかに名前はないのだ。

東京奇譚集』という作品集がこの1文で終わることも相まって、読後感がとても爽やかで、勇気付けられますね。与えられたパーツでやっていくしかない。

 

以上、エンタメ的面白さと、勇気付けられる読後感がステキな「品川猿」が第2位!

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◆1位:蜂蜜パイ

[基本情報]

◯短編集『神の子どもたちはみな踊る』書き下ろし。

◯あらすじ…小説家を志し、早稲田大学文学部に進学した淳平は、同じ学部の高槻、小夜子と友人になる。淳平は小夜子に恋をしていたが、小夜子は高槻と結婚し、娘の沙羅を授かる。しかしその後、高槻と小夜子は離婚してしまい、淳平を交えたやや奇妙な4人の関係がスタートすることになる。

 

[好きな理由など]

ついに1位!書き下ろし短編「蜂蜜パイ」です。

この作品が好きな理由を短くまとめることは難しいのですが、強いて挙げるなら

①考察が捗るパーツが多いから

②作者の思いが溢れ出てきていると考えられるから

ということになるでしょうか。

 

①については今更書くことは何もないです。

10位の「腎臓」とのリンク、熊のまさきちととんきちのエピソードが示唆するものなど、気になりポイントが満載!

絶対何かがあるのですが、まだ点と点をうまく繋げられていないので、日々もやもやしているところでございます。

 

そして②について。

この作品は、春樹作品の中で相当な異色作なのではないかというのがわたしの見解です。

阪神・淡路大震災、そして地下鉄サリンという圧倒的な暴力を下敷きに書かれた『神の子どもたちはみな踊る』。その最後に書き下ろしとして付け加えられた本作には、小説に何ができるかという問題に対する作者の素直な思いが溢れ出てきているように思えるのです。

(p.236 l.15-p.237 l.4)これまでとは違う小説を書こう、と淳平は思う。夜が明けてあたりが明るくなり、その光の中で愛する人々をしっかりと抱きしめることを、誰かが夢見て待ちわびているような、そんな小説を。(中略)相手が誰であろうと、わけのわからない箱に入れさせたりはしない。たとえ空が落ちてきても、大地が音を立てて裂けても。

 

ということで、小説家・村上春樹の思いが伝わる「蜂蜜パイ」が第1位!

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以上、お読みいただいたみなさま、本当にお疲れ様でした!

ひたすら自分語りで恐縮ですが、まあたまにはいいですよね…?

次回は1/22(日)更新予定です!

 

>今日の蛇足

ちなみにわたしは漫画も大好き。

BLEACHオタク、黒執事オタクでもありますので、同志の方、仲良くしましょう(笑)

卍解

 

▼前回の記事です。

inori-book.hatenablog.com

▼過去の人気記事です。

inori-book.hatenablog.com

【納屋を焼く】考察:納屋は可能世界のメタファーか?

ごきげんよう、祈(いのり/inori)です。

”〇〇焼き”と言うと、小さいころ祖母にもらった”ぽたぽた焼き”が印象的です。

パッと聞いてどんな食べ物か想像つかないですよね。

 

さて、今回は村上春樹「納屋を焼く」

比較的有名な(?)短編で、いくつかの短編集に掲載されていますね。

わたしの手元にある限りでは『蛍・納屋を焼く・その他の短編』にショートバージョンが、『象の消滅』にロングバージョンが載っていました。

← 一応読み比べましたが、あまり差異はないかな…と思います。

 

今回いつも以上にまとまっていないのですが、このブログ「手控え」ですので!

わたしの思考整理のため&これをご覧くださったかたに「もっといい説あるよ」と教えていただくために、拙いながら書いていこうと思います。

(以下、「納屋を焼く」のページ数に関するすべての記載は、新潮社『象の消滅に拠ります。)

▲日本的「納屋」の画像って意外とないものですね。
画像:https://pixabay.com/ja/photos/%e7%b4%8d%e5%b1%8b-%e6%94%be%e6%a3%84%e3%81%95%e3%82%8c%e3%81%9f-%e8%be%b2%e5%a0%b4-216372/

[目次]

◆2つの気になりポイント

◆納屋=可能世界のメタファー?

◆女の子の消失はイレギュラーだった?

◆まとめ

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◆2つの気になりポイント

例によって、今回の気になりポイントから書いていきます。

それは以下の2つです。

1)彼氏が女の子の行方を本当に知らなそうであること

2)挿入されている芝居のストーリーが実際と違うこと

 

まず(1)について。

「納屋を焼く」は本当にさまざまな解釈ができる短編で、わたしも色々な説を聞きました。

その中で時々話題に上るのは、アルジェリアで出会った『グレート・ギャツビイ』のような彼氏が、パントマイムを習っている女の子を殺害したのではないか…というもの。なかなかショッキングですよね。納屋を焼いているという独白が、実は殺人を仄めかす表現だったのでは…という解釈です。

 

上記の説をわたしは素直になるほどなぁと思ったのですが、同時に

「それにしては彼氏が何も知らなさそうだな」とも思いました。

ミステリーなどでは、犯人の方から殺した人の話題を持ちかけることがよくありますが、それにしても食い下がり過ぎなんじゃないかと。嫉妬の話まで持ち出して…

わたしにしては珍しく(?)完全に主観ですが、彼氏が女の子に直接手は下していないんじゃないかというのが、この記事の立場です。

▲こんなことだったら…怖い
画像:https://pixabay.com/ja/photos/%e4%ba%ba-%e3%83%8a%e3%82%a4%e3%83%95-%e5%88%ba%e3%81%99-%e6%ae%ba%e3%81%99-%e6%ae%ba%e4%ba%ba-315910/

そして(2)について。こちらは結構はっきりしています。

主人公と彼氏がマリファナを吸う場面で、主人公は小学校の学芸会でやったお芝居を思い出しています↓

(p.190 l.19-20)僕はそこで手袋屋のおじさんの役をやった。子狐が買いにくる手袋屋のおじさんの役だ。でも子狐の持ってきたお金では手袋は買えない。

このお芝居は十中八九、新美南吉「手袋を買いに」でしょう。

*…青空文庫で全文無料で読めるよ↓

新美南吉 手袋を買いに

ただ、作中の描写は「手袋を買いに」と話の筋が違うのです。

具体的に言うと、元のお話では、子狐はちゃんと人間の世界のお金を持ってきていたため、おじさんはお客が子狐であると分かっていながら、手袋を売ってあげるのです。

 

この違いは何を意味するのか。わたしは以下3つのどれかかな…と。

A)作者の覚え違いである

B)マリファナによる記憶の混濁の表現である

C)話の筋が違った世界線パラレルワールドの表現である

 

(A)は…人間ですからなくはないですよね。村上春樹先生は自分でも意図せずごっちゃに覚えてしまっていることがあると書いていますし…

 

(B)はかなり有力です。というか多分これです笑

お芝居の描写の直後に彼氏が以下のように述べていることが根拠になります。

(p.191 l.13-16)これを吸っていると(中略)記憶の質が……」(中略)「まるで変っちゃうんです。

マリファナを吸ったことにより記憶の質が変わってしまったことを表現するために、意図的に「手袋を買いに」の筋を変えたのではという説です。

 

最後に(C)です。

これは言っていることそのままなのですが、「手袋を買いに」の筋が違った世界線・IF(イフ)ルートの可能世界を想起させるものなのではという説です。

 

なぜこのような考えに至ったかを、次の章で見ていきましょう。

 

おまけ)ちなみに、「手袋を買いに」の別バージョンがあるのでは?という仮説も考えましたが、初稿でも子狐の持ってきたお金では買えない…というくだりはありませんでした。

▲キツネ。かわいい。
画像:https://pixabay.com/ja/photos/%e7%8b%90-%e3%82%ab%e3%83%96%e3%82%b9-%e5%8f%af%e6%84%9b%e3%81%84-%e3%82%a2%e3%82%ab%e3%82%ae%e3%83%84%e3%83%8d-3707653/

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◆納屋=可能世界のメタファー?

さて、前章で「手袋を買いに」の筋が違うのは、可能世界を想起させるためではないかという考えを書きました。

このような考えに至った理由は、彼氏の以下の独白からです。

(p.194 l.18 - p.195 l.7)モラリティーなしに人間は存在できません。僕はモラリティーというのはいうなれば同時存在のかねあいのことじゃないかと思うんです(中略)

僕がここにいて、僕があそこにいる。僕は東京にいて、僕は同時にチュニスにいる。(中略)

「つまり君が納屋を焼くのは、モラリティーにかなった行為であるということかな?」

「正確にはそうじゃありませんね。それはモラリティーを維持するための行為なんです。

 

…うーん、わかるようなわからないような。

でも、モラリティー=同時存在のかねあいを維持するための行為として、納屋を焼いているということは断言されていますよね。

つまり、可能世界・パラレルワールドのバランスを保つために、納屋を焼いている。

 

ここで、彼氏が焼く納屋の描写を見てみます。

(p.194 l.11-12)まるでそもそもの最初からそんなもの存在もしなかったみたいにね。誰も悲しみゃしません。

我々は日頃、可能世界のことを想定して生きてはいません。

人生の節目で「あの時あっちを選んでいたら…」と思い返すことはあるかもしれませんが、今日赤い服を着たか/青い服を着たかということによるルート分岐を考え続けている人は少ないでしょう。

「焼かれるべき納屋」とは、このように生きていく上で無数に発生する”ありえたかもしれない世界”のメタファーなのではないかというのが、わたしの考えです。

▲画像:https://pixabay.com/ja/photos/%e7%81%ab-%e7%82%8e-%e8%96%aa-%e3%82%ad%e3%83%a3%e3%83%b3%e3%83%97%e3%83%95%e3%82%a1%e3%82%a4%e3%83%a4%e3%83%bc-2197606/

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◆女の子の消失はイレギュラーだった?

最後のトピックです!

冒頭で、彼氏が女の子に直接手を下していないのでは…と書きました。

しかし、わたしは女の子の消失に彼氏は関わっているとみています。

 

どういうことか。

わたしの考えは、彼氏が可能世界の象徴たる納屋を焼いたことによって、結果的に(意図せず)女の子が消失したのではないかというものです。

 

みなさまは”バタフライエフェクト”という現象をご存知でしょうか?

蝶の羽ばたきのような非常に小さなものが、巡り巡って遠くの場所にハリケーンのような大きな影響を与えるという現象のことです。←カオス理論×文学、という大学の講義が懐かしい。

 

今回もそのようなケースで、

1つの些細な”ありえたかもしれない世界”を焼いたことが引き金となり、結果的に女の子が消えてしまった or 女の子と巡り会わない世界になってしまったのでは、とわたしは考えています。

間接的な殺人、というより不慮の事故に近いかもしれないですね。

 

最後に、パントマイムに関する女の子の言葉を引いておきましょう。

(p.184 l.2-3)そこに蜜柑があると思いこむんじゃなくて、そこに蜜柑がないことを忘れればいいのよ。それだけ。

これも可能世界のことを示唆しているように、わたしは思えてなりません。

そこに蜜柑がないことを忘れればいいのよ。
画像:https://pixabay.com/ja/photos/%e3%81%bf%e3%81%8b%e3%82%93-%e3%83%95%e3%83%ab%e3%83%bc%e3%83%84-%e9%a3%9f%e7%89%a9-1721590/

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◆まとめ

本記事の内容まとめです。

●挿入されている芝居「手袋を買いに」のストーリーが違う→可能世界を想起させる表現?

●納屋=可能世界のメタファー?

●女の子は、彼氏が納屋=可能世界の1つを焼いたことによって、意図せずに消失したor巡り会わない世界になった?

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今週もそこそこボリューミーになってしまいました…お疲れ様でした!

次回は1/15(日)更新予定です!

 

>今日の蛇足

「納屋を焼く」の英語タイトルは「Barn burning」とのこと。

これ、英語のだじゃれ発でタイトルが決まって、そこから物語書き始めていたりしませんかね…?

 

▼前回の記事です。

inori-book.hatenablog.com

 

▼過去の人気記事です。

inori-book.hatenablog.com

【どこであれそれが見つかりそうな場所で】考察:くるみ・ヒール・メリルリンチ

明けましておめでとうございます、祈(いのり/inori)です。

移動先に本を持っていくことを忘れてしまい、せっかくの正月休みだったのに1記事も書けませんでした…

InstagramTwitterではちょくちょく発信していたのでお許しを…

スタートダッシュからポンコツですが、本年もどうぞよろしくお願いします。

 

さて、2023年一発目の記事は原点回帰ということで、ガチ考察回で行こうと思います。

扱う作品は村上春樹「どこであれそれが見つかりそうな場所で」

短編集東京奇譚集に収録されている短編です。40Pくらい。

「消えた人を捜すことに個人的な関心を持っている」という主人公の元に、突如いなくなってしまった夫を捜してほしい、という依頼が舞い込んできて…という物語。

 

一発目なので、長い記事ですが分けずにいきます。

少しの間、お付き合いください!

(以下、「どこであれそれが見つかりそうな場所で」のページ数に関するすべての記載は、新潮文庫東京奇譚集に拠ります。)

▲ちょっと探偵小説っぽいテイストの作品です。
画像:https://pixabay.com/ja/vectors/%e3%82%b7%e3%83%a3%e3%83%bc%e3%83%ad%e3%83%83%e3%82%af-%e3%83%bb-%e3%83%9b%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%82%ba-%e6%8e%a2%e5%81%b5-147255/

[目次]

◆夫はどこにいたのかー25階的異界ー

◆補足:25階「的異界」とは

◆夫はなぜ消えたのかー結婚しなかった世界線?ー

◆補足:くるみとハイヒール

◆なぜ「25」にこだわるのかー年齢の暗示?ー

◆まとめ

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◆夫はどこにいたのかー25階的異界ー

この作品の1つの謎として、消えた夫はどこにいたのかという問題があります。

結局夫は消えてから20日後に、縁もゆかりもない仙台駅のベンチで寝ていたところを保護されるのですが、失踪していた期間どこで何をしていたかは当人にもわからず、作中で明かされることもありません。

 

ですが、失踪期間中に夫がどこにいたのかということは、我々読者にはある程度わかるようにされているのでは?とわたしは思っています。

それはズバリ、25階的異界にいた

 

どういうことかと言うと、この作品には以下の特徴があるのです。

1)25階というフロアそのものに言及される回数が、極端に少ない

2)5の倍数が強調されている

 

まず特徴(1)ですが、夫が消えた場所は「24階と26階を結ぶ階段の途中」です(p.107 l.7)。

そして、この少々回りくどい表現が作中に6回も登場する一方で、「25階」という表現は3回しか登場しないのです。

その3回とは以下。

(p.113 l.14-15)25階と26階とのあいだの踊り場には、三人掛けのソファが置かれ…(後略)

(p.120 l.6-7)私はソファから立ち上がり、ロビーまで階段を25階ぶん歩いて降りた。

(p.128 l.7-8)私が25階と26階とのあいだの踊り場まで上がって行くと、ソファに小さな女の子が座って…(後略)

 

…どうでしょう?

いずれも踊り場や階段に関する記述のみで、25階というフロアそのものに関する記述は少ない、というかほぼないと言って良いのではないでしょうか?

本文中の描写だけを見たら、主人公は25階を捜していないのではと思えるくらいです。

言い換えれば、25階は盲点である

▲盲点
画像:https://pixabay.com/ja/photos/%e4%ba%ba-%e5%a5%b3%e6%80%a7-%e5%b8%83-%e9%ab%aa-2574506/

一方で、25階という主人公たちの盲点を、我々読者は意識できるように配慮されています。

それが特徴(2)。5の倍数の描写です。

わたしが見つけた限りで挙げてみます。

 

・35歳…依頼人の年齢

・40歳…依頼人の夫の年齢

・朝10時、10日前…事件発生日時

・10キロ…結婚後に増えた夫の体重

★25分後…夫が家を出てから電話がかかってくるまでの時間

・11時35分…捜索開始時刻

・5階につき1つ…踊り場のある場所

・45歳…主人公の年齢

・10番ホール…ゴルフの描写

★25分がどこかに消滅していた…捜索中の描写

・200回くらい歩いて往復…捜索中の描写

20日…夫が失踪していた期間

 

★マークをつけた2箇所を中心に、これだけ多くの5の倍数が登場するのは、作者の意図的なもの…と考えても良いのではないでしょうか。

つまり、夫は25階的異界に消えていましたよ、ということが我々読者には類推できるようになっている

_____________________________

◆補足:25階「的異界」とは

ここで少しだけ補足です。

25階「的異界」とわたしが呼んでいる理由は、夫がいた25階が現実世界の25階ではない可能性が高いためです。

根拠は、25階にある踊り場で出会う女の子のセリフです。

(p.131 l.15-p.132 l.3)「ねえ、おじさん、ミスタードーナツの中で何がいちばん好き?」

「オールド・ファッション」(中略)

私の好きなのはね、『ほかほかフルムーン』、それから『うさぎホイップ』」

この女の子の語る『ほかほかフルムーン』『うさぎホイップ』というメニューは、ミスタードーナツには過去一度も存在していません。

主人公たちがリアルな25階を捜さなかった…とは考えにくいため、

『ほかほかフルムーン』や『うさぎホイップ』が存在するようなもう1つの世界線の25階=25階「的異界」に夫がいたと考える方が自然な気がします。

 

そして、上記の説を取るならこの女の子も別の世界の者である、と考えた方が良さそうですね…ヒエッ

▲画像:https://pixabay.com/ja/photos/%e3%82%a8%e3%83%ac%e3%83%99%e3%83%bc%e3%82%bf%e3%83%bc-%e3%83%9c%e3%82%bf%e3%83%b3-%e6%95%b0%e5%ad%97-926058/

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◆夫はなぜ消えたのかー結婚しなかった世界線?ー

さて、ここまではある意味前哨戦というか、意識して読めば分かるように作者が書いた部分だと(わたしは)思います。

そこで、もう少し突っ込みます。夫が消えた理由です。

 

夫が消えた理由は、鏡を通して自己と向き合った結果、結婚前の自分に戻りたいと思った(もしくは結婚しなかった世界線を体験したくなった)からだとわたしは考えています。

 

根拠を述べます。

決定的なのは、20日後に戻ってきた夫の体重が10キロ落ちていたという描写です。

これは、結婚してから増えた体重と同じです(p.105 l.13-14)。

つまり、夫は失踪によって、結婚前の状態にリセットされたのだと読むことができます。

 

また、踊り場には鏡があることが言及されています。

そして上述の女の子は、鏡について意味深なセリフを言っているのです。

(p.129 l.12-14)「ねえ、おじさん、このマンションの階段についてる鏡の中で、ここの鏡がいちばんきれいに映るんだよ。それにおうちの鏡とはぜんぜん違って映るんだ」

鏡が村上春樹作品において、自己と向き合うための装置として機能することは原理主義者のみなさまには周知の事実かと思います。←短編「鏡」や「眠り」あたりを読んでみてね

この鏡を通して、ありえたかもしれないIF(イフ)の世界に夫が移動したのでは…というのが、わたしの読みです。

▲画像:https://stock.adobe.com/jp/search/images?k=%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89&search_type=usertyped&asset_id=430259930

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◆補足:くるみとハイヒール

ここまでお読みいただいたみなさまの中には、こう思うかたもいらっしゃるのではないでしょうか。

夫が結婚生活に不満を持っていた描写はあるの?と。

特に不満がないのであれば、鏡を通して自己と向き合っても失踪しないのでは…ということですね。

 

上記について、決定的な描写はないだろうというのがわたしの結論です。

しかし、気になる点はありますのでここでふれておきます。

それは、くるみとハイヒールです。

 

くるみとは何か。失踪した夫の苗字は「胡桃沢(クルミザワ)」なのです。(p.122 l.8)

ハイヒールとは何か。こちらは言うまでもなく、依頼人である妻の服装です。「アイスピックみたい」と形容され、その尖り具合や攻撃性が何度も描かれています。

 

くるみと尖った物という組み合わせから、くるみ割りを連想するのは自然なことかと思います。

つまり、夫は妻をはじめとした周囲の”尖った物”(*)に砕かれて、消耗していたのではとわたしは読んでいます。

 

なお、くるみとハイヒール=女性性(ヒール)による男性性(睾丸)の破壊=性的にも虐げられていたのでは…と読めなくもないですが、ここは可能性もあるね、という程度に留めておきます。

 

(*)…ほかの”尖った物”として、以下が作中で挙げられていますね。

・不安神経症の母…神経が細く、尖っている。

メリルリンチ…ロゴが雄牛。下からツノで突く形状が相場の上昇と重なって見えるからとのこと。

(p.138 l.8-10)「現実の世界にようこそ戻られました。不安神経症のお母さんと、アイスピックみたいなヒールの靴を履いた奥さんと、メリルリンチに囲まれた美しい三角形の世界に」

▲周囲の尖った物たちに砕かれていた?
画像:https://stock.adobe.com/jp/search/images?filters%5Bcontent_type%3Aphoto%5D=1&filters%5Bcontent_type%3Aillustration%5D=1&filters%5Bcontent_type%3Azip_vector%5D=1&filters%5Bcontent_type%3Aimage%5D=1&k=%E3%81%8F%E3%82%8B%E3%81%BF&order=relevance&price%5B%24%5D=1&safe_search=1&limit=100&search_page=1&search_type=usertyped&acp=&aco=%E3%81%8F%E3%82%8B%E3%81%BF&get_facets=0&asset_id=427458595

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◆なぜ「25」にこだわるのかー年齢の暗示?ー

最後のトピックです!なぜ「25」という数字にこだわるのか。

この問いについて、申し訳ないですがわたしは現時点でキレイな結論を持っていません。

ただ、高い確率で年齢を暗示しているのでは…と予想しています。

 

依頼人である妻の年齢が35歳なので、25という数字は妻が結婚した年齢ということになります←ここが夫の年齢だったら、結婚前に戻りたかったという説で万事説明がついたんですけどね…

 

それから、25という数字の根拠にはなりえませんが、階段での描写には年齢を暗示させるものがいくつか見られます。

1つ目は、階段で出会う人々の年齢。

主人公は45歳ですが、30過ぎの男には上ってくるところで出会い、逆に70代半ばの老人には降りてくるところで出会うのです。

つまり、自分より若い年齢の人は上がってきて、自分より老いた年齢の人は下がってきているわけです。

ここから、この階段が人生の縮図のようなものとして機能している可能性が示唆されます。

2つ目。これはこじつけの域を出ませんが、主人公の好きなドーナツがオールド・ファッションであるという点。

オールドファッションは「旧式の、時代遅れの」という意味の英単語でもあります。

これを小学校に上がったばかりくらいの小さな女の子に話す、という部分も含めて、年齢や時代を感じさせる描写なのではとわたしは思っています。

 

おまけ)

前述のように尖った物に関する描写が多かったり、主人公が天井の模様を天体図のようだと見ていたり…という点も考慮すると、

ある一定の年齢に達するとそこで星座や座標のように人生が固定されてしまい、どこへも行けなくなるということを示唆しているのか?と思ったりしています…

▲階段は人生の縮図?
画像:https://pixabay.com/ja/photos/%e9%9a%8e%e6%ae%b5-%e8%9e%ba%e6%97%8b-%e3%83%a2%e3%83%8e%e3%82%af%e3%83%ad-1136071/

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◆まとめ

本記事の内容まとめです。

●消えた夫は25階的異界にいたと考えられる。

●夫が消えた理由は、鏡を通して自己と向き合った結果、結婚前の自分に戻りたいと思った(もしくは結婚しなかった世界線を体験したくなった)からだと考えられる。

●「25」階で消えた理由は、年齢の暗示?

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以上、5,000文字を越えるボリュームでお送りしました!ちょっとしたレポートですね。お付き合いいただいたかた、ありがとうございました…笑

 

この作品が収録されている『東京奇譚集』は、個人的にトップレベル、ひょっとすると一番好きかもしれない短編集です。

今後も不定期に取り上げていくことになるかと思いますので、よろしくお願いします。

 

では、次回からは(おそらく)通常営業。

1/8(日)の記事でお会い出来たら嬉しいです!

 

 

今日の蛇足)わたしも移動は階段派です。少しでも運動不足を解消しなければ…

 

▼前回の記事です。

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【ノルウェイの森】鑑賞:落ちること、絡まること

ごきげんよう、祈(いのり/inori)です。

みなさま、クリスマスはいかがお過ごしでしたor現在お過ごし中でしょうか。

 

クリスマスといえばこれしかない!ということで、

今回は村上春樹ノルウェイの森を見ていきます。

こちらリアリズム小説なので、謎らしい謎はちょっと少ないかな?と思っています(わたしが見つけられていないだけかもですが…)

そのため今回は”鑑賞”ということで、気がついたことを取り留めなく、だらだら書いていきます。

よろしければ、ご一読くださいませ。

(以下、『ノルウェイの森』のページ数に関するすべての記載は、講談社単行本に拠ります。)

▲いやー、映えますね。プレゼントと並んでも遜色ない、素晴らしい表紙。

[目次]

◆落ちること、絡まること

◆①落ちること…日常の中の落とし穴

◆②絡まること…事態の行き詰まり

_____________________________

◆落ちること、絡まること

ノルウェイの森』の通読回数はおそらく3、4回。読むたびに違った感想や新たな発見があります。

今回の通読でわたしが気づいたのは、この物語のキーワード/モチーフとして

①落ちること

②絡まること

の2つを挙げられるのではないかということです。

さっそく1つずつ見ていきましょう。

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◆①落ちること…日常の中の落とし穴

まずは①落ちることですが、こちらは第1章:直子の井戸の話や、キズキ・ハツミさんとのビリヤードの話に表象されていると思います。

 

直子の話す井戸は、どこにあるのか誰にもわからない、歩いているとすぽっと落ちてしまう文字通りの”落とし穴”として書かれています。

これは、日常の中の落とし穴のメタファーとして捉えることができるのではないでしょうか。

つまり、直子やレイコさんのように、順調に生きていても、何かの拍子にころっと転落してしまう。”通常”とされる人生のレールを外れてしまうことがある。

わたしたちの生きている世界でも、だれにでも起こり得る、理不尽な出来事です。

 

また、ビリヤードは玉を撞いて、連鎖的に穴に落とすゲームです。

これは芥川龍之介「歯車」などにも描かれていることですが、なんてことのない出来事が連鎖的に悪い出来事へと至ってしまう/あるいは物事を悪い方に引き付けて考えてしまうという要素を読み取ることができそうです。

 

ところで、村上原理主義者のかたには言うまでもないことかもしれませんが、

ノルウェイの森』のある意味”前段”として、1973年のピンボールという小説があります。

ここでも直子という名前の女性が出てきて、井戸の話をするんですね。

こちらは題名の通り、象徴的なアイテムとしてピンボールが登場するのですが、ピンボールはフリッパーでもって落ちてくる玉を受け止め、上に弾き返すゲームです。

つまり、『ピンボール』のときは落ちないように戻すゲームだったが、『ノルウェイの森』では(連鎖的に)落とすゲームへと変わっている。

生と死を象徴する緑と赤という色も含めて、ビリヤードというモチーフを引っ張ってきた作者には、さすがと言う他ないですね。

(下巻 p.145 l.1-4)たぶん何かの偶然によるものだとは思うのだけれど、そのショットは百パーセントぴったりと決まって、緑のフェルトの上で白いボールと赤いボールが音も立てないくらいそっとぶつかりあって、それが結局最終得点になったわけです。

緑のフェルトの上で、白いボールが連鎖的に赤いボールを穴に落とす。
画像:https://pixabay.com/ja/photos/%e3%83%93%e3%83%aa%e3%83%a4%e3%83%bc%e3%83%89-%e3%83%95%e3%82%a9%e3%83%bc%e3%82%ab%e3%82%b9-%e7%9b%ae%e6%a8%99-4534303/

 

おまけです。

このような”落とし穴”のメタファーとしてよく知られたものに、J.D.サリンジャーキャッチャー・イン・ザ・ライライ麦畑でつかまえて)』がありますね。村上春樹訳も出ていますので是非!(謎の宣伝)

崖っぷちに広がる、足元の見えないライ麦畑を走り回る子供たち。彼らが崖から落ちないようにキャッチする存在になりたいんだと主人公は語ります。

ノルウェイの森』第6章でも、以下のようなセリフが出てきます。村上春樹サリンジャーを読んでいることは度々ご本人が言及していますので、リスペクトの気持ちがあるのかもしれませんね。

(上巻 p.206 l.9-11)「あなたって何かこう不思議なしゃべり方するわねえ」と彼女は言った。「あの『ライ麦畑』の男の子の真似してるわけじゃないわよね」

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◆②絡まること…事態の行き詰まり

続いて②絡まることですが、こちらは直子のプレゼントレイコさんの話病院でのワタナベと緑の父親との話などに表象されていると思います。

 

わかりやすいところで、レイコさんの話から見ていきましょう。

レイコさんは度々「絡みあった糸をほぐす」という表現を使っています。行き詰まった事態を、こんがらがった糸に例えているわけですね。

 

これを念頭に置くと、直子からのプレゼントが常に毛糸を使ったものであるというところに意味を見出したくなってきます。

最初は毛糸の手袋を(上巻p.77 l.5)、次はレイコさんと共同で葡萄色のセーターを(下巻p.178 l.15-16)、主人公に送っています。

そして、2回とも直子はうまく編めていないことが言及されている。

…わたしの言いたいことは分かりましたね?笑

直子は行き詰まった事態を解く能力がない、ということが言外に表されているのではないかというのが、わたしの考察です。

単なる”ぶきっちょな直子ちゃんかわいい〜”というお茶目ポイントではないかもしれないのです。

▲ほぐすには時間も根気も必要。
画像:https://stock.adobe.com/jp/search?k=%E7%B5%A1%E3%81%BE%E3%82%8B&search_type=usertyped

最後に病院でのワタナベと緑の父親との話。

ここでワタナベは緑の父親に対し、エウリピデスの話をします。

具体的には、身動き取れない事態を解消する物語装置として、デウス・エクス・マキナという存在があることを語っている。

これも先ほどの糸をほぐす話と繋がってきますよね。

 

さらに、超細かいポイントですが、ワタナベはその直前でアイロンがけの話をしているのです。

(下巻 p.89 l.19-11)アイロンかけるの嫌いじゃないですね、僕は。くしゃくしゃのものがまっすぐになるのって、なかなかいいもんですよ、あれ。僕アイロンがけ、わりに上手いんです。 (下線は引用者)

さりげな〜く読み飛ばしてしまいそうな描写ですね。

でも、こちらも先ほどの直子の話と対比するのであれば、主人公ワタナベにはくしゃくしゃになったものをうまく解きほぐす能力があるという表現として読めるのではないでしょうか。

…さすがに深読みしすぎ?

▲熱をもって向き合えば、キレイに解きほぐせる?
画像:https://pixabay.com/ja/photos/%e9%89%84-%e3%82%b7%e3%83%a3%e3%83%84-%e3%82%b7%e3%83%a3%e3%83%84%e3%81%ae%e8%a5%9f-5973836/

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以上、『ノルウェイの森』を見てきました。

村上春樹の紛れもない代表作の1つ、ということで、長々書いてしまって申し訳ないです…

 

そして、次回の記事ですが年内にもう1本くらいは書こうと思います。

12/28-1/3の期間は(きっと)お仕事のほうがお休みになると思うので、何かしら毎日更新しようかなと思っていたり…

TwitterInstagramで更新お知らせします!

 

今日の蛇足)わたしは短気なので糸をほぐすのは無理です。ラップとかすぐ切れ端を見失うタイプ。

 

▼前回の記事です。

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【かいつぶり『カンガルー日和』】小ネタ:本来の合言葉は「か〇〇〇〇」?

ごきげんよう、祈(いのり/inori)です。

言い訳がましいことはあまり書きたくないのですが、中の人の肉体と魂の接続が弱くなりまして。

これを人間界では”体調を崩す”と言うそうですね。←キャラが定まっていない

 

ということで、申し訳ないですが今回はとても短い記事にさせていただきます。

扱う作品は村上春樹「かいつぶり」。『カンガルー日和』に収録されている短編です。

▲かいつぶり
画像:https://pixabay.com/ja/photos/%e5%8b%95%e7%89%a9-%e9%b3%a5-%e5%86%ac%e9%b3%a5-%e6%b0%b4%e9%b3%a5-7575935/

【この記事で言いたいこと】

「かいつぶり」における本来の合言葉は「貝合わせor貝覆い」ではないか

(以下、「かいつぶり」のページ数に関するすべての記載は、講談社カンガルー日和に拠ります。)

 

[目次]

◆前段

◆本来の合言葉は「貝合わせor貝覆い」?

 

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◆前段

村上春樹作品には時折、これはどう解釈したものか…という作品がありますよね(笑)?

個人的にはこの「かいつぶり」もそのひとつ。

12ページしかない短い作品ですが、それゆえにメッセージを読み取りにくかったり、解釈の幅があまりにも広かったり…と、難しい作品です。

 

気になるトピックとしては以下がありますので、手控えとして残しておきます。

・そもそも指定された場所にドアがないこと

←本来主人公がたどり着くべき場所ではなかった?

・連鎖的な表現が多いこと(どんどん廊下を進んでいく/主人公が「かいつぶり」と言い出したことから話題が連鎖していく/「他人の靴を磨いてやると…」という挿話)

・融通の効かなさと合言葉の無意味さが読み取れること

 

上記のトピックについて何か思いついたら記事にしますが、

今回は、本来の合言葉ってこれじゃないの?というお話です。

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◆本来の合言葉は「貝合わせor貝覆い」?

本作において、合言葉のヒントは以下が提示されています。

1)水に関係がある

2)手のひらに入る

3)食べることはできない

4)五文字

 

これらを満たす言葉として、貝合わせor貝覆い」はいかがでしょうか?

貝合わせ(貝覆い)とは、以下のような遊びです。

貝合わせには次の二種がある[1]

  1. 平安時代に行われていた物合わせの一種[1] - 貝合わせは本来、左右に別れて、貝の形・色合い・大きさ・種類の豊富さで優劣を競う貴族たちの遊びであった[1]
  2. 平安時代末期から行われている貝殻を合わせる遊戯[1] - 360個のハマグリの貝殻を左貝(出貝、だしがい)と右貝(地貝、じがい)に分け、出貝に合う地貝を多く見つけ出した者を勝ちとする遊び[1]

地貝と合致する出貝を探し出す遊戯としての貝合わせは元来貝覆いと呼ばれていたが、殻を合わせる所作から後に混同されて、同じく貝合わせと呼ばれるようになった。

貝合わせ - Wikipediaより引用

 

これは、上述の条件をすべて満たしているように思えます。

◎ 1)水に関係がある…貝は水に関係がある

◎ 2)手のひらに入る…「貝覆いの貝は女性の掌中に握るのに適した大きさの、伊勢国二見産ハマグリを用いた」とある(同Wikipedia

◎ 3)食べることはできない…貝殻だけを用いる遊びのため、食べることはできない

◎ 4)五文字…「かいあわせ」「かいおおい」どちらも五文字

 

加えて、貝合わせは上記の通り、貝殻を用いた神経衰弱とでもいうべきものです。

つまり、鍵と鍵穴のような関係性であるわけで、扉を開くための合言葉にはピッタリだと思いませんか?

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この言葉を念頭に置いていたのか、

もしくは偶然条件に当てはまる言葉があったのかは不明ですが…

いつか村上春樹先生に聞いてみたいですね。

 

それではまた次回の記事(12/25)でお会いしましょう。

クリスマスだけど、変わらずやってやるぜ!

 

今日の蛇足)貝と言えば潮干狩り!わたしはアサリには目もくれず、カニやら小魚やらと遊ぶのに夢中ですので、戦力外です。

 

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【騎士団長殺し】小ネタ:ペンギンとカジキとシロクマと

ごきげんよう、祈(いのり/inori)です。

実はフェンシング経験者。

▲ちゃんと器具をつけて戦ったことがあります。
画像:https://pixabay.com/ja/photos/フェンシング-人-遊ぶ-1839325/

以前の記事▼で「動物ネタをもう一本」と言っていながら書いていないことを思い出したので、今回は動物ネタで、村上春樹騎士団長殺し

(2022年12月10日現在)最新の長編小説ですね!

 

▼以前の記事はこちら

inori-book.hatenablog.com

 

今回は”考察”というほど筋の通った論ではないので(まあいつもそうなんですけど…)、タイトルは「小ネタ」とさせていただきました。

お手すきの際に、気楽に眺めていただけたら嬉しいです!

 

【この記事で言いたいこと】

騎士団長殺し』に登場する3種類の生き物(ペンギン・カジキ・シロクマ)には、裏の意味合いがあるのではないか

(以下、「騎士団長殺し」のページ数に関するすべての記載は、新潮社単行本に拠ります。)

 

[目次]

◆3種類の海洋生物

◆シロクマ=主人公とすると…?

◆なぜカジキでなければならないのか

 

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◆3種類の海洋生物

騎士団長殺し』には、少なくとも3種類の海洋生物が登場しますね。

1)ペンギン…秋川まりえが持っていたストラップ。主人公が渡り賃として顔のない男に渡す。

2)カジキ…白いスバル・フォレスターに貼られていたステッカー。

3)シロクマ…主人公が妻からもらった手紙に同封されていたポストカード。

 

これらの生き物ですが、実は生息域という観点で見ると、面白いことがわかります。

1)ペンギン…(例外はあるが)多くは南極の生き物。北極には生息していない。

2)カジキ…東南アジアからオーストラリア海域、太平洋およびインド洋の暖海部に広く分布

3)シロクマ…北極に生息。

 

図に表すと以下の通り。

▲図1:生息域
画像は全てhttps://pixabay.com/ja/より使用

…どうでしょう?キレイに生息域が分かれていることが読み取れますよね。

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◆シロクマ=主人公とすると…?

さてここで、『騎士団長殺し』31章を見てみましょう。

(p.499 l.13-14)たしかにある意味では、私は流されゆく氷山に取り残された孤独なシロクマなのだ。

このように、主人公の「私」は、自身をシロクマに重ねています。

これを先ほどの生息域の図にも重ねると、以下のように考えることができそうです。

▲図2:小説の世界に重ねた生息域
画像は全てhttps://pixabay.com/ja/より使用

村上春樹作品ではもはやお決まり?となった”冥界下り”の要素ですが、それを常に新しいパッケージで見せてくるのはさすがですね。

 

最後に、もう少しだけ深読みをして終わろうと思います。

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◆なぜカジキでなければならないのか

わたしはご存知の通り面倒臭い性格なので、上記の読み方に気がついた時にこう思いました。

 

これ、カジキじゃなくてもよくない? と。

 

つまり、図でいう②のエリア、世界的に分布する海洋生物であれば、別にカジキでなくてサバでもカニでもいいのではと考えたわけです。

 

ところがすぐにこの考えは誤っていることに気がつきました。

カジキ(メカジキ)の英語名はSwordfish、「剣の魚」なのです。

本作では、2つの世界を行き来する際の儀式として、騎士団長を刺殺することが必要とされました。

つまり、カジキは騎士団長を殺すための剣を表しているのではないかというのが、わたしの考えです。

 

ちなみに、カジキの学名(ラテン語)は、Xiphias gladius。

Xiphias=「カジキ」、 gladius=「グラディウス」。

そう、古代ローマ時代に剣闘士に用いられた剣の名前、グラディウスです。

騎士団長のイメージにピッタリですよね。

グラディウスのような剣を手に戦う剣闘士
画像:https://pixabay.com/ja/vectors/グラディエーター-戦士-5243825/

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ここまで計算であれば、村上春樹恐るべし!

もし偶然であれば、それはそれで運命力というか、語られるべき物語が掬い上げられた感じがして、良いですよね。

それではまた次回の記事(12/18)でお会いしましょう。

 

今日の蛇足)水族館で、窓ガラス越しに4羽くらいのペンギンに睨みつけられたことがあります。不良の集団に取り囲まれた感じ。

 

▼前回の記事です。

inori-book.hatenablog.com

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【クリーム】考察:見つけました!「中心がいくつもあって、しかも外周を持たない円」

ごきげんよう、祈(いのり/inori)です。

教会でパイプオルガンとか弾いてみたいですよね。わたし音符読めませんが…

 

さて、今回扱うのは、村上春樹「クリーム」

(2022年12月4日現在)最新の短編集『一人称単数』に収録されている短編です。主人公が山の上のピアノリサイタルに招待されるお話ですね。

 

【この記事で言いたいこと】

「中心がいくつもあって、しかも外周を持たない円」とは、”人の意識のエリア”を指すのではないか

 

なかなか手応えのある新作に挑戦してみましたので、最後までご覧いただけたら嬉しいです!

(以下、「クリーム」のページ数に関するすべての記載は、文藝春秋単行本『一人称単数』に拠ります。)

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◆”1つの円”とは言っていないのでは…?

本作最大の謎が、山の上の四阿(あずまや)で老人に問いかけられる「中心がいくつもあって、しかも外周を持たない円」でしょう。そんなものあるのか…?と思いますよね。

このような円は”学校では教えてくれない”と言っているため、明確な解答を求めること・それも学問的に求めること自体がナンセンスだと思うのですが(コウモリ傘で叩かれそう)、ここではあえてそれに挑戦してみようと思います。

 

というのも、老人の問いかけを読んだときにわたしはこう思ったのです。

1つの円とは言っていないな…」と。

つまり、こうすればいいのではと考えました▼

▲図1

①の青い内側の円を無数に増やしていけば、「中心がいくつもあって」という条件はクリアできます。

そして、①の青い円すべてを包括する、またはすべてに外接する②の赤い外側の円を考えます。すると、①の青い円が無限に増えた場合、それらすべてを包括する②の赤い円は外周を定義できなくなります。これは「外周を持たない」と言えるのではないでしょうか。

無限に増え続けるお菓子をすっぽり収納できる袋はない、といったイメージでしょうか。

 

これが唯一の正解だ!と言いたいわけではありません。飽くまで1つの読み方として、上記のような解釈はどうでしょうか…?

▲「円が1つとは言ってないんですよね。」
←こんなネタのために30分以上かけた
元画像:
imgres

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◆この円は何を表しているか

上記だけでは単なるトンチで終わってしまいますので、もう少し掘り下げます。

この円の話が何を表しているのか、という点です。

 

この点を掘り下げるうえでポイントになるのが、物語の終盤に出てくる次の文章です。

(p.47 l.15-p.48 l.3)たとえば心から人を愛したり、何かに深い憐れみを感じたり、この世界のあり方についての理想を抱いたり、信仰(あるいは信仰に似たもの)を見いだしたりするとき、ぼくらはとても当たり前にその円のありようを理解し、受け容れることになるのではないかーそれはあくまでぼくの漠然とした推論に過ぎないわけだけれど。

この文章で列挙されている事柄は、その人の精神の核・心の拠り所のようなものと言えます。いわば円の中心です。

つまり、先ほどの図1は、人間一人一人の心の拠り所を中心として展開する、心や意識のエリアを表しているのではないでしょうか。

図にすると以下の通り▼

▲図2

この円全体で一個人と見るか(つまり、①の青い円が1人の中にいくつもあると見るか)、または①の青い円1個で一個人と見るか(つまり、①の青い円の数だけ人がいると見るか)は判断が難しいところですね。というよりどちらも言えるのではないかとわたしは思います。

 

いずれにせよ、人の心には上記のようなエリアが存在し、それが「説明もつかないし筋も通らない、しかし心を深く激しく乱される出来事」をやり過ごす上で大事な核となるのだということを、老人は伝えたかったのではないでしょうか。

 

オマケのようになりますが、本作には神話的モチーフが多いですよね。

”戸の山の上、ぼくだけに向けられたようなキリスト教の宣教メッセージ、「神話的とも言えそうなその印象深い光景」(p.44 l.10-11)などなど…

山の上まで花束を持って音楽を聞きに行く、という行為も、どことなく神託を受けに行く様を彷彿とさせます。

そのように考えると、「坂道を上ってくるときは、そんな公園があることに気づかず通り過ぎてしまった」(p.34 l.7-8)公園自体も、そこに現れた老人も、こちら側の世界のものではないのかもしれませんね。

「しょうもないつまらん」ことだらけの世界を生きる術を主人公に授けるために、現れてくれたのでしょうか?

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それでは本日はこの辺りで。

次回(12/11)の記事でまたお会いできればと思います!

 

今日の蛇足)クリーム系のお菓子はちょっと苦手です…「クリームの中のクリーム」が出てきたら、誰か食べてください。

 

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