ごきげんよう、祈(いのり/inori)です。
みなさま、クリスマスはいかがお過ごしでしたor現在お過ごし中でしょうか。
クリスマスといえばこれしかない!ということで、
こちらリアリズム小説なので、謎らしい謎はちょっと少ないかな?と思っています(わたしが見つけられていないだけかもですが…)
そのため今回は”鑑賞”ということで、気がついたことを取り留めなく、だらだら書いていきます。
よろしければ、ご一読くださいませ。
(以下、『ノルウェイの森』のページ数に関するすべての記載は、講談社単行本に拠ります。)
[目次]
◆落ちること、絡まること
◆①落ちること…日常の中の落とし穴
◆②絡まること…事態の行き詰まり
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◆落ちること、絡まること
『ノルウェイの森』の通読回数はおそらく3、4回。読むたびに違った感想や新たな発見があります。
今回の通読でわたしが気づいたのは、この物語のキーワード/モチーフとして
①落ちること
②絡まること
の2つを挙げられるのではないかということです。
さっそく1つずつ見ていきましょう。
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◆①落ちること…日常の中の落とし穴
まずは①落ちることですが、こちらは第1章:直子の井戸の話や、キズキ・ハツミさんとのビリヤードの話に表象されていると思います。
直子の話す井戸は、どこにあるのか誰にもわからない、歩いているとすぽっと落ちてしまう文字通りの”落とし穴”として書かれています。
これは、日常の中の落とし穴のメタファーとして捉えることができるのではないでしょうか。
つまり、直子やレイコさんのように、順調に生きていても、何かの拍子にころっと転落してしまう。”通常”とされる人生のレールを外れてしまうことがある。
わたしたちの生きている世界でも、だれにでも起こり得る、理不尽な出来事です。
また、ビリヤードは玉を撞いて、連鎖的に穴に落とすゲームです。
これは芥川龍之介「歯車」などにも描かれていることですが、なんてことのない出来事が連鎖的に悪い出来事へと至ってしまう/あるいは物事を悪い方に引き付けて考えてしまうという要素を読み取ることができそうです。
ところで、村上原理主義者のかたには言うまでもないことかもしれませんが、
『ノルウェイの森』のある意味”前段”として、『1973年のピンボール』という小説があります。
ここでも直子という名前の女性が出てきて、井戸の話をするんですね。
こちらは題名の通り、象徴的なアイテムとしてピンボールが登場するのですが、ピンボールはフリッパーでもって落ちてくる玉を受け止め、上に弾き返すゲームです。
つまり、『ピンボール』のときは落ちないように戻すゲームだったが、『ノルウェイの森』では(連鎖的に)落とすゲームへと変わっている。
生と死を象徴する緑と赤という色も含めて、ビリヤードというモチーフを引っ張ってきた作者には、さすがと言う他ないですね。
(下巻 p.145 l.1-4)たぶん何かの偶然によるものだとは思うのだけれど、そのショットは百パーセントぴったりと決まって、緑のフェルトの上で白いボールと赤いボールが音も立てないくらいそっとぶつかりあって、それが結局最終得点になったわけです。
おまけです。
このような”落とし穴”のメタファーとしてよく知られたものに、J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ(ライ麦畑でつかまえて)』がありますね。←村上春樹訳も出ていますので是非!(謎の宣伝)
崖っぷちに広がる、足元の見えないライ麦畑を走り回る子供たち。彼らが崖から落ちないようにキャッチする存在になりたいんだと主人公は語ります。
『ノルウェイの森』第6章でも、以下のようなセリフが出てきます。村上春樹がサリンジャーを読んでいることは度々ご本人が言及していますので、リスペクトの気持ちがあるのかもしれませんね。
(上巻 p.206 l.9-11)「あなたって何かこう不思議なしゃべり方するわねえ」と彼女は言った。「あの『ライ麦畑』の男の子の真似してるわけじゃないわよね」
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◆②絡まること…事態の行き詰まり
続いて②絡まることですが、こちらは直子のプレゼント、レイコさんの話、病院でのワタナベと緑の父親との話などに表象されていると思います。
わかりやすいところで、レイコさんの話から見ていきましょう。
レイコさんは度々「絡みあった糸をほぐす」という表現を使っています。行き詰まった事態を、こんがらがった糸に例えているわけですね。
これを念頭に置くと、直子からのプレゼントが常に毛糸を使ったものであるというところに意味を見出したくなってきます。
最初は毛糸の手袋を(上巻p.77 l.5)、次はレイコさんと共同で葡萄色のセーターを(下巻p.178 l.15-16)、主人公に送っています。
そして、2回とも直子はうまく編めていないことが言及されている。
…わたしの言いたいことは分かりましたね?笑
直子は行き詰まった事態を解く能力がない、ということが言外に表されているのではないかというのが、わたしの考察です。
単なる”ぶきっちょな直子ちゃんかわいい〜”というお茶目ポイントではないかもしれないのです。
最後に病院でのワタナベと緑の父親との話。
ここでワタナベは緑の父親に対し、エウリピデスの話をします。
具体的には、身動き取れない事態を解消する物語装置として、デウス・エクス・マキナという存在があることを語っている。
これも先ほどの糸をほぐす話と繋がってきますよね。
さらに、超細かいポイントですが、ワタナベはその直前でアイロンがけの話をしているのです。
(下巻 p.89 l.19-11)アイロンかけるの嫌いじゃないですね、僕は。くしゃくしゃのものがまっすぐになるのって、なかなかいいもんですよ、あれ。僕アイロンがけ、わりに上手いんです。 (下線は引用者)
さりげな〜く読み飛ばしてしまいそうな描写ですね。
でも、こちらも先ほどの直子の話と対比するのであれば、主人公ワタナベにはくしゃくしゃになったものをうまく解きほぐす能力があるという表現として読めるのではないでしょうか。
…さすがに深読みしすぎ?
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以上、『ノルウェイの森』を見てきました。
村上春樹の紛れもない代表作の1つ、ということで、長々書いてしまって申し訳ないです…
そして、次回の記事ですが年内にもう1本くらいは書こうと思います。
12/28-1/3の期間は(きっと)お仕事のほうがお休みになると思うので、何かしら毎日更新しようかなと思っていたり…
今日の蛇足)わたしは短気なので糸をほぐすのは無理です。ラップとかすぐ切れ端を見失うタイプ。
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