祈(いのり/inori)の手控え

本の考察(もとい妄言)を気ままに書く手控えです。 村上春樹作品多めの予定。

【日々移動する腎臓のかたちをした石】考察:「蜂蜜パイ」のifルート?キリエの神性と呪いからの解放

ごきげんよう、祈(いのり/inori)です。

甘いものは昔から苦手なのですが、読書しながらのコーヒーとドーナツに意外とハマってしまいました。でも体質的にコーヒー合わないし(後々頭が痛くなる)、かといって甘いもの単体は甘くて食べられないし…という、あまりにも小さい悩みを抱えております。

 

さて、先日『めくらやなぎと眠る女』(新潮社)を読み返していて思うところがあったので、今回久々に更新です。

個人的にとても好きな作品「日々移動する腎臓のかたちをした石」について。

(以下、同作品のページ数に関するすべての記載は、『東京奇譚集新潮文庫単行本に拠ります。)

 

[目次]

◆”つながり”に気がつきましたか?

◆共通ワードは「かかと」

◆キリエの神性

◆腎臓でなければならない3つの理由

◆「蜂蜜パイ」のifルート?

◆まとめ

_____________________________

◆”つながり”に気がつきましたか?

『めくらやなぎと眠る女』のイントロダクションによると、『東京奇譚集』は作者が2005年になって「短編小説をまとめて書いてみたい」と久しぶりに思い立ち、1ヶ月の間に5本まとめて書き上げた作品群だそうです。そしてそれらは「奇妙な物語」というテーマを共有しているが、『地震のあとで』(日本語版は『神の子どもたちはみな踊る』が主題として付いていますね)ほど確固としたユニットを形成しているわけではないとのこと。

ただ、東京奇譚集』に収録されている5作品には、単語レベルでの”つながり”があるとわたしは睨んでいます。具体的には以下の通り。

 

◯①偶然の旅人 ↔︎ ②ハナレイ・ベイ:「スターバックス」(p.23 ↔︎ p.90)

◯②ハナレイ・ベイ ↔︎ ③どこであれそれが〜:「アメリカン・エキスプレス」(p.56 ↔︎ p.117)

◯③どこであれそれが〜 ↔︎ ④日々移動する〜:?

◯④日々移動する〜 ↔︎ ⑤品川猿:「嫉妬」(p.178 ↔︎ p.206)

*( )内はそれぞれの単語の初出ページ数

 

いかがでしょうか?

短期間でまとめて書かれた、そして共有のテーマがある作品群ということを踏まえると、この連続性は偶然の一致とは思えません。スターバックスとアメックスに関しては頻出性の低い固有名詞ですし、嫉妬は物語におけるキーワードですしね。

ところが、「③どこであれそれが見つかりそうな場所で」と「④日々移動する腎臓のかたちをした石」の間には、ぱっと見で同じ単語が使われている箇所はありません。この法則性は誤っているのでしょうか?

_____________________________

◆共通ワードは「かかと」

ここで少し話が逸れますが、村上春樹読者のかたであればオイディプス王の物語は説明不要でしょう。確認されたいかたは以下リンクからご覧ください。『海辺のカフカ』にも登場した「父を殺し、母と交わる」という神託を受けるギリシャ神話です。

ja.wikipedia.org

今回取り上げている「日々移動する〜」についても、主人公の淳平は16歳の時に父親から”神託”を賜っており、それにとらわれて生きているという点でオイディプス王の物語枠組みに近い点があります。

そしてこの「オイディプスOedipus)」という言葉、「膨れ上がった足」という意味だそうです。なぜそのような変わった名前かというと、子供に殺されるという神託を恐れた父親ライオスが、生まれたばかりのオイディプスを先に殺そうとするも忍びなくなり、代わりに踵(かかと)をブローチで刺して山に放置したからというもの。刺された踵が炎症を起こして腫れ上がっていたんですね。

 

一方「③どこであれ〜」の方では、依頼人のマダムがハイヒールを履いています。そしてそのかかとの鋭さが、執拗に描写されているんですね。

つまり、「③どこであれ〜」と「④日々移動する〜」には共通ワードがないのではなく、「かかと」というつながりが巧妙に隠されているのではないかとわたしは考えます。

 

◯①偶然の旅人 ↔︎ ②ハナレイ・ベイ:「スターバックス」(p.23 ↔︎ p.90)

◯②ハナレイ・ベイ ↔︎ ③どこであれそれが〜:「アメリカン・エキスプレス」(p.56 ↔︎ p.117)

◯③どこであれそれが〜 ↔︎ ④日々移動する〜:「かかと」

◯④日々移動する〜 ↔︎ ⑤品川猿:「嫉妬」(p.178 ↔︎ p.206)

 

この法則性が成り立つことは、

A)『東京奇譚集』における5つの物語は、明確なつながりが意識されていること

B)「どこであれ〜」の物語は、オイディプス王の物語が意識されていること

の2つを示すものと言えそうです。

_____________________________

◆キリエの神性

ここから物語の中身の考察に入ります。

実はわたしは初読の段階から、この話はギリシャ神話感が強いなとずっと感じていました。その理由はここまで見てきたように、オイディプス王の物語が意識されているのではという物語構造的な部分と、もう一つ、キリエの存在からです。

キリエは作中で「ミサ曲の一部みたい」(p.148)と言われているように、Kyrie=「主よ」を意味する非常に宗教的なギリシャです。

このキリエの神性に着目すると、いくつか面白い妄想ができます。

 

例えば、キリエは自身が天秤座であり、「バランスがとれていないものごとにはどうしても我慢できない」(p.157)と語ります。またキリエの職業(?)も、長い棒を持って高い建物の間をバランスを取りながら移動するという、天秤を連想させるものです。

これらの描写は、天秤でもって善悪を測る正義の女神アストレアを彷彿とさせますよね。

▲これは別の女神テミスとされることが多いそうですが、アストレアと同一視されることもあるとか…?(難しい)飽くまでイメージとして!

他にも、キリエは淳平に

「この世界のあらゆるものは意思を持っている」(p.166)

と語りかけますが、これは事象そのものに意味はなく、観測者が意味を見出すのだとする「①偶然の旅人」とはある種対極の思想と捉えられます。

「偶然の旅人」が観測者側、つまり人間の自由意志から見た側の思想だとすれば、その真逆であるキリエの思想は超越者からの絶対的なメッセージ、分かりやすく言えば神の側の思想と考えることができます。

 

細かい描写は他にもいくつかありますが、このようにキリエには神性が付与されている気がしてなりません。そしてこの神性は、物語の大きな謎である「腎臓のかたちをした石」にも関わっているのではないかとわたしは見ています。

あとちょっとで終わるので頑張ってくださいね!

_____________________________

◆腎臓でなければならない3つの理由

この作品において非常に印象的な「腎臓のかたちをした石」ですが、これは脳やら肝臓やらではダメで、やはり”腎臓”でなければならないというのがわたしの説です。

 

分かりやすいところからいきましょう。

以下が腎臓の図ですが、この左右一対の構造自体が天秤に見えませんか?

…はい、みなさまのおっしゃりたいことは分かりますよ。

左右一対の臓器なんて他にもあるだろうというのでしょう(肺とかね)。

ので、他に後2つトピックを用意しました。

 

1つは腎臓の機能的な部分。

腎臓のメイン機能は、不要なものを濾し出して浄化し、生物の身体の状態を一定に保つことです。良いものと悪いものを選り分け、バランスを保つというのは正義の女神の役割に相応しいのではないでしょうか。

 

もう1つは「じんぞう」という言葉遊び。

キリエは淳平に「医師を揺さぶる石の意思」(p.165)と抱腹絶倒ギャグを披露していますが、これは「じんぞう」にもかかっているのではとわたしは読んでいます。

「腎臓」の同音異義語としては「人造」がありますが、これは人の手で造られたものという意味ですね。やや飛躍しますが、わたしはこれを人が神の領域にまで到達するように作った人造の塔・バベルの塔のことではないかと捉えています。

ギリシャ神話と旧約聖書で出典は違いますが)この作品は宗教的・神話的モチーフが非常に多いため、この連想はあながち突飛なものでもないかなと。

また、キリエが

「私が興味を持てるのは、直立した人工的な高層建築だけです」(p.174)

と語っていることからも、人造の高い塔であることに意味があるように思えてならないんですよね…。

 

では、ここまで巧みに宗教的・神話的モチーフを配置しているのはなぜなのか。それが最後の考察になります。

_____________________________

◆「蜂蜜パイ」のifルート?

意図的に最後までふれなかったのですが、この作品、他の村上春樹作品に似ていませんか?

そう、「蜂蜜パイ」です。

本作と「蜂蜜パイ」は、主人公の名前・職業・学生時代の経験(意中の女性と親友が結婚してしまったこと)が一致しています。ワタナベノボルや直子など、一部の特権的な人名を除いて、村上春樹先生が人名を使い回すことはまずありません。その他の項目もここまで一致していることを踏まえると、これは同一人物なのではないかというのがわたしの見解です

ちなみに収録年代は以下の通り。「蜂蜜パイ」より「日々移動する〜」が後になります。

◯「蜂蜜パイ」…2000年2月25日

◯「日々移動する腎臓のかたちをした石」…2005年6月号

 

ここまでの情報から考えたわたしの説は、「日々移動する〜」は「蜂蜜パイ」のもう一つのストーリー(ifルート)であり、小夜子とのエンディングを迎えられなかった淳平が、キリエという女神によって父親の呪いから解放される話なのだというものです。

神託の呪いを解くには同じ神託でなくてはならないでしょう。だからこそ淳平を導く女性であるキリエには、ここまで神性が付与されていなくてはならなかったのではないでしょうか。

 

ちなみに「キリエ・エレイソン(Kyrie eleison)」はキリスト教における重要な祈りの文言のひとつで、意味は「主、憐れめよ」。

救済の手を差し伸べる存在として設定されたのだとすれば、なかなかにおしゃれなネーミングであると思いませんか?

_____________________________

◆まとめ

本記事の内容まとめです。

●『東京奇譚集』の5作品には単語レベルでつながりがあり、「日々移動する〜」は「かかと」という単語で前作とつながっている

オイディプス/キリエの神性/腎臓=人造=バベルの塔など、本作には多数の宗教的・神話的モチーフが散りばめられている

●本作は「蜂蜜パイ」のifルートと考えられ、小夜子とのエンディングを迎えられなかった世界線の淳平が、キリエという女神によって父親の呪いから解放される話なのではないか

_____________________________

以上です!ここまで読んでくださったかた、お疲れ様でした!

 

 

▼同じ『東京奇譚集』収録作品の考察記事です。

inori-book.hatenablog.com

 

▼前回の記事です。

inori-book.hatenablog.com

 

▼過去の人気記事です。

inori-book.hatenablog.com

inori-book.hatenablog.com

 

▼番外編です。

inori-book.hatenablog.com