祈(いのり/inori)の手控え

本の考察(もとい妄言)を気ままに書く手控えです。 村上春樹作品多めの予定。

最速考察【夏帆】:「クモ」「好奇心」から読み解くSNS時代の村上春樹

ごきげんよう、祈(いのり/inori)です。

春樹先生の新作が来ましたね、みなさん!
短編小説、その名も夏帆
こちらは2024年3月に実施された「春のみみずく朗読会」にて初お披露目となった作品で、活字としては『新潮 創刊120周年記念特大号』が初出です。
わたしは朗読会には行けませんでしたので、活字化されることを今か今かと待ち望んでおりました…。
『新潮』発売日に即買って、もう3周読んでおります。

 

ということで今回は、最新作「夏帆」の最速考察をやっていきたいと思います。
なぜクモのメタファーが繰り返し登場するのかという点に注目してみました。

(以下、同作品のページ数に関するすべての記載は、『新潮 創刊120周年記念特大号』に拠ります。)

[目次]

スマホが普及した世界の話

◆クモ = WEB・ネットのメタファー?

◆7回登場する「好奇心」

◆作者は何を訴えたかったのか

◆まとめ

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スマホが普及した世界の話

 今回の短編をあえて乱暴に一言で表すと、「初対面の男にいきなり容姿をディスられる話」です(笑)
この物語の骨格、わたしはSNSの世界みたいだなと思いました。
作中でも言及されていますが、「ミスコンは廃止すべきだ」「みんな違った美しさがあるんだ」という多様性第一の声が高まる一方で、不特定多数の顔もわからないアカウントが他者の容姿を日常的に誹謗中傷しています。
普通に生活する中では接する機会がないような美男美女の姿をワンタップで見られたり、加工された画像やAI画像が溢れかえったり…と、ルッキズムの加速にSNSが一定の役割を持ってしまっていることは否定し難い事実でしょう。
このような点から、今回の短編は昨今のSNS世界が裏に隠れているように読めます。

 ちなみに超小ネタですが、今作は(わたしが知る限り)初の「スマホが登場する作品」です。p.15上段のl.4に

携帯電話の革のフラップを閉じた。

と記載があることから、佐原が革製の手帳型スマホケースを使っていることが推察されます。
「デート・アプリ」などの言葉が使われていることからも、今作はスマホが普及した世界であるということが読者に明確に示されています。

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◆クモ = WEB・ネットのメタファー?

 今作がスマホSNSが普及した世界であるという見方をすると、容姿を貶す男性・佐原にクモのモチーフが重ねられていることに必然性が見えてきます。

 ずばり、クモ = WEB・ネットの象徴である。
安直すぎる連想かもしれませんが、WEBという言葉自体、無数のコンテンツがまるでクモの巣のように結び付けられていることからつけられた名前ですし、ネットもそのまま本来は「網」の意味です。
巣穴を構え、狡猾に獲物を待つ捕食者としてのクモのイメージと、網の目のように広がっている仮想空間のクモの巣のイメージをオーバーラップさせていると考えることはできないでしょうか。

 ちなみに、作中には以下のような描写もあります。

僕から少しでも遠くに離れたいというのは、そううまくいくものだろうか?
(p.18下段 l.19-20)

距離的なことを言うなら、僕らはもともとそう遠くは離れていないんだ。
(p.19上段 l.1-2)

人は連鎖の構造から逃れることはできない。
(p.19上段 l.3)

その通りですよね。
だって我々は否応なくこのネット世界の網に絡め取られていて、地球の裏側の人ともネットを通して即座にやり取りできる訳ですから。
佐原=サハラ砂漠を連想させ、夏帆が海を連想させるという構造も、ひょっとすると「地球上どこにいても」というネット世界のニュアンスを想起させるためかもしれませんね。

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◆7回登場する「好奇心」

 さらに小ネタをもう一つ。
今作において、「好奇心」という言葉が実は7回も登場しています。

あの男は好奇心という餌を撒いて、蜘蛛のように巧妙に私をおびき寄せたのだ。
(p.19上段 l.18-19)

上記の部分からわかるように、主人公の夏帆は好奇心によって佐原という悪意に引き寄せられてしまっています。
これもSNSに慣れているかたには特に共感いただけるところかと思いますが)見ない方がいいと分かっていてもどうしても見てしまう、悪意に触れてしまうというネット世界の負の魅力を象徴しているように思えます。
有名人が、悪口を書かれていると分かっていながら自分のことを検索する(エゴサーチ)を止められないようなものです。
このことからも、クモに象徴される佐原はネット世界の悪として描かれていると言えるでしょう。

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◆作者は何を訴えたかったのか

 最後に、ルッキズムが加速するSNS世界の闇を描くことを通して、作者が何を訴えたかったのかを考察してみます。
これは比較的わかりやすいところかと思いますが、物語終盤の夏帆が書いた絵本の中にヒントがあると思います。

 絵本のあらすじは、自分の顔を失ってしまった少女がさまざまな経験を通して成長することで、間に合わせでつけていたはずの顔がいつの間にか自身の本当の顔になっていたことに気づく…というものです。

 この作中作から読み取れることは、色々な経験や感情がその人だけの顔を作り上げるということではないでしょうか。

 また、「夏帆」という作品全体に拡大してみると、②ある日突然、理由なき悪意ひょっとすると悪意ですらないかもしれない他者の言動)によって自分の容姿が棄損されることがある/③少数の声がとても大きく聞こえることがある(※ 佐原は悪の集合体的に描かれていると思いますが、n = 1の声でしかないという読み方もできる)
というメッセージも読み取れるかもしれません。

 こうした②③に特に影響されやすい「十代初めの少女たち」に対して、①の内容を含む絵本が、ひいては「夏帆」という作品自体が救いとして機能し得るように思います。

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◆まとめ

本記事の内容まとめです。

●「夏帆」はスマホSNSが普及した世界として描かれている

●クモに象徴される佐原は、ネット世界の悪のメタファーである(クモ = WEB・ネットの象徴)

●本作を通して作者は、SNS時代における悪、とりわけ容姿にまつわる悪との向き合い方を描いている

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以上です、お疲れ様でした!

 

>今日の蛇足

春樹先生がプライベートでSNSをやっていらっしゃったとしたら、どんな内容を投稿されるんでしょうね?
個人的にはひたすら野良猫の写真とか上げていてほしい。
レコードクソリプおじさんにはならないで…(笑)

 

▼長編の最速考察はこちらです。

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