【どこであれそれが見つかりそうな場所で】考察:くるみ・ヒール・メリルリンチ
明けましておめでとうございます、祈(いのり/inori)です。
移動先に本を持っていくことを忘れてしまい、せっかくの正月休みだったのに1記事も書けませんでした…
↑Instagram、Twitterではちょくちょく発信していたのでお許しを…
スタートダッシュからポンコツですが、本年もどうぞよろしくお願いします。
さて、2023年一発目の記事は原点回帰ということで、ガチ考察回で行こうと思います。
扱う作品は村上春樹「どこであれそれが見つかりそうな場所で」。
短編集『東京奇譚集』に収録されている短編です。40Pくらい。
「消えた人を捜すことに個人的な関心を持っている」という主人公の元に、突如いなくなってしまった夫を捜してほしい、という依頼が舞い込んできて…という物語。
一発目なので、長い記事ですが分けずにいきます。
少しの間、お付き合いください!
(以下、「どこであれそれが見つかりそうな場所で」のページ数に関するすべての記載は、新潮文庫『東京奇譚集』に拠ります。)
[目次]
◆夫はどこにいたのかー25階的異界ー
◆補足:25階「的異界」とは
◆夫はなぜ消えたのかー結婚しなかった世界線?ー
◆補足:くるみとハイヒール
◆なぜ「25」にこだわるのかー年齢の暗示?ー
◆まとめ
_____________________________
◆夫はどこにいたのかー25階的異界ー
この作品の1つの謎として、消えた夫はどこにいたのかという問題があります。
結局夫は消えてから20日後に、縁もゆかりもない仙台駅のベンチで寝ていたところを保護されるのですが、失踪していた期間どこで何をしていたかは当人にもわからず、作中で明かされることもありません。
ですが、失踪期間中に夫がどこにいたのかということは、我々読者にはある程度わかるようにされているのでは?とわたしは思っています。
それはズバリ、25階的異界にいた。
どういうことかと言うと、この作品には以下の特徴があるのです。
1)25階というフロアそのものに言及される回数が、極端に少ない
2)5の倍数が強調されている
まず特徴(1)ですが、夫が消えた場所は「24階と26階を結ぶ階段の途中」です(p.107 l.7)。
そして、この少々回りくどい表現が作中に6回も登場する一方で、「25階」という表現は3回しか登場しないのです。
その3回とは以下。
(p.113 l.14-15)25階と26階とのあいだの踊り場には、三人掛けのソファが置かれ…(後略)
(p.120 l.6-7)私はソファから立ち上がり、ロビーまで階段を25階ぶん歩いて降りた。
(p.128 l.7-8)私が25階と26階とのあいだの踊り場まで上がって行くと、ソファに小さな女の子が座って…(後略)
…どうでしょう?
いずれも踊り場や階段に関する記述のみで、25階というフロアそのものに関する記述は少ない、というかほぼないと言って良いのではないでしょうか?
本文中の描写だけを見たら、主人公は25階を捜していないのではと思えるくらいです。
言い換えれば、25階は盲点である。
一方で、25階という主人公たちの盲点を、我々読者は意識できるように配慮されています。
それが特徴(2)。5の倍数の描写です。
わたしが見つけた限りで挙げてみます。
・35歳…依頼人の年齢
・40歳…依頼人の夫の年齢
・朝10時、10日前…事件発生日時
・10キロ…結婚後に増えた夫の体重
★25分後…夫が家を出てから電話がかかってくるまでの時間
・11時35分…捜索開始時刻
・5階につき1つ…踊り場のある場所
・45歳…主人公の年齢
・10番ホール…ゴルフの描写
★25分がどこかに消滅していた…捜索中の描写
・200回くらい歩いて往復…捜索中の描写
・20日…夫が失踪していた期間
★マークをつけた2箇所を中心に、これだけ多くの5の倍数が登場するのは、作者の意図的なもの…と考えても良いのではないでしょうか。
つまり、夫は25階的異界に消えていましたよ、ということが我々読者には類推できるようになっている。
_____________________________
◆補足:25階「的異界」とは
ここで少しだけ補足です。
25階「的異界」とわたしが呼んでいる理由は、夫がいた25階が現実世界の25階ではない可能性が高いためです。
根拠は、25階にある踊り場で出会う女の子のセリフです。
(p.131 l.15-p.132 l.3)「ねえ、おじさん、ミスタードーナツの中で何がいちばん好き?」
「オールド・ファッション」(中略)
私の好きなのはね、『ほかほかフルムーン』、それから『うさぎホイップ』」
この女の子の語る『ほかほかフルムーン』『うさぎホイップ』というメニューは、ミスタードーナツには過去一度も存在していません。
主人公たちがリアルな25階を捜さなかった…とは考えにくいため、
『ほかほかフルムーン』や『うさぎホイップ』が存在するようなもう1つの世界線の25階=25階「的異界」に夫がいたと考える方が自然な気がします。
そして、上記の説を取るならこの女の子も別の世界の者である、と考えた方が良さそうですね…ヒエッ
_____________________________
◆夫はなぜ消えたのかー結婚しなかった世界線?ー
さて、ここまではある意味前哨戦というか、意識して読めば分かるように作者が書いた部分だと(わたしは)思います。
そこで、もう少し突っ込みます。夫が消えた理由です。
夫が消えた理由は、鏡を通して自己と向き合った結果、結婚前の自分に戻りたいと思った(もしくは結婚しなかった世界線を体験したくなった)からだとわたしは考えています。
根拠を述べます。
決定的なのは、20日後に戻ってきた夫の体重が10キロ落ちていたという描写です。
これは、結婚してから増えた体重と同じです(p.105 l.13-14)。
つまり、夫は失踪によって、結婚前の状態にリセットされたのだと読むことができます。
また、踊り場には鏡があることが言及されています。
そして上述の女の子は、鏡について意味深なセリフを言っているのです。
(p.129 l.12-14)「ねえ、おじさん、このマンションの階段についてる鏡の中で、ここの鏡がいちばんきれいに映るんだよ。それにおうちの鏡とはぜんぜん違って映るんだ」
鏡が村上春樹作品において、自己と向き合うための装置として機能することは原理主義者のみなさまには周知の事実かと思います。←短編「鏡」や「眠り」あたりを読んでみてね
この鏡を通して、ありえたかもしれないIF(イフ)の世界に夫が移動したのでは…というのが、わたしの読みです。
_____________________________
◆補足:くるみとハイヒール
ここまでお読みいただいたみなさまの中には、こう思うかたもいらっしゃるのではないでしょうか。
夫が結婚生活に不満を持っていた描写はあるの?と。
特に不満がないのであれば、鏡を通して自己と向き合っても失踪しないのでは…ということですね。
上記について、決定的な描写はないだろうというのがわたしの結論です。
しかし、気になる点はありますのでここでふれておきます。
それは、くるみとハイヒールです。
くるみとは何か。失踪した夫の苗字は「胡桃沢(クルミザワ)」なのです。(p.122 l.8)
ハイヒールとは何か。こちらは言うまでもなく、依頼人である妻の服装です。「アイスピックみたい」と形容され、その尖り具合や攻撃性が何度も描かれています。
くるみと尖った物という組み合わせから、くるみ割りを連想するのは自然なことかと思います。
つまり、夫は妻をはじめとした周囲の”尖った物”(*)に砕かれて、消耗していたのではとわたしは読んでいます。
なお、くるみとハイヒール=女性性(ヒール)による男性性(睾丸)の破壊=性的にも虐げられていたのでは…と読めなくもないですが、ここは可能性もあるね、という程度に留めておきます。
(*)…ほかの”尖った物”として、以下が作中で挙げられていますね。
・不安神経症の母…神経が細く、尖っている。
・メリルリンチ…ロゴが雄牛。下からツノで突く形状が相場の上昇と重なって見えるからとのこと。
(p.138 l.8-10)「現実の世界にようこそ戻られました。不安神経症のお母さんと、アイスピックみたいなヒールの靴を履いた奥さんと、メリルリンチに囲まれた美しい三角形の世界に」
_____________________________
◆なぜ「25」にこだわるのかー年齢の暗示?ー
最後のトピックです!なぜ「25」という数字にこだわるのか。
この問いについて、申し訳ないですがわたしは現時点でキレイな結論を持っていません。
ただ、高い確率で年齢を暗示しているのでは…と予想しています。
依頼人である妻の年齢が35歳なので、25という数字は妻が結婚した年齢ということになります←ここが夫の年齢だったら、結婚前に戻りたかったという説で万事説明がついたんですけどね…
それから、25という数字の根拠にはなりえませんが、階段での描写には年齢を暗示させるものがいくつか見られます。
1つ目は、階段で出会う人々の年齢。
主人公は45歳ですが、30過ぎの男には上ってくるところで出会い、逆に70代半ばの老人には降りてくるところで出会うのです。
つまり、自分より若い年齢の人は上がってきて、自分より老いた年齢の人は下がってきているわけです。
ここから、この階段が人生の縮図のようなものとして機能している可能性が示唆されます。
2つ目。これはこじつけの域を出ませんが、主人公の好きなドーナツがオールド・ファッションであるという点。
オールドファッションは「旧式の、時代遅れの」という意味の英単語でもあります。
これを小学校に上がったばかりくらいの小さな女の子に話す、という部分も含めて、年齢や時代を感じさせる描写なのではとわたしは思っています。
おまけ)
前述のように尖った物に関する描写が多かったり、主人公が天井の模様を天体図のようだと見ていたり…という点も考慮すると、
ある一定の年齢に達するとそこで星座や座標のように人生が固定されてしまい、どこへも行けなくなるということを示唆しているのか?と思ったりしています…
_____________________________
◆まとめ
本記事の内容まとめです。
●消えた夫は25階的異界にいたと考えられる。
●夫が消えた理由は、鏡を通して自己と向き合った結果、結婚前の自分に戻りたいと思った(もしくは結婚しなかった世界線を体験したくなった)からだと考えられる。
●「25」階で消えた理由は、年齢の暗示?
_____________________________
以上、5,000文字を越えるボリュームでお送りしました!ちょっとしたレポートですね。お付き合いいただいたかた、ありがとうございました…笑
この作品が収録されている『東京奇譚集』は、個人的にトップレベル、ひょっとすると一番好きかもしれない短編集です。
今後も不定期に取り上げていくことになるかと思いますので、よろしくお願いします。
では、次回からは(おそらく)通常営業。
1/8(日)の記事でお会い出来たら嬉しいです!
今日の蛇足)わたしも移動は階段派です。少しでも運動不足を解消しなければ…
▼前回の記事です。
▼過去の人気記事です。