ごきげんよう、祈(いのり/inori)です。
”〇〇焼き”と言うと、小さいころ祖母にもらった”ぽたぽた焼き”が印象的です。
パッと聞いてどんな食べ物か想像つかないですよね。
さて、今回は村上春樹「納屋を焼く」。
比較的有名な(?)短編で、いくつかの短編集に掲載されていますね。
わたしの手元にある限りでは『蛍・納屋を焼く・その他の短編』にショートバージョンが、『象の消滅』にロングバージョンが載っていました。
← 一応読み比べましたが、あまり差異はないかな…と思います。
今回いつも以上にまとまっていないのですが、このブログ「手控え」ですので!
わたしの思考整理のため&これをご覧くださったかたに「もっといい説あるよ」と教えていただくために、拙いながら書いていこうと思います。
(以下、「納屋を焼く」のページ数に関するすべての記載は、新潮社『象の消滅』に拠ります。)
[目次]
◆2つの気になりポイント
◆納屋=可能世界のメタファー?
◆女の子の消失はイレギュラーだった?
◆まとめ
_____________________________
◆2つの気になりポイント
例によって、今回の気になりポイントから書いていきます。
それは以下の2つです。
1)彼氏が女の子の行方を本当に知らなそうであること
2)挿入されている芝居のストーリーが実際と違うこと
まず(1)について。
「納屋を焼く」は本当にさまざまな解釈ができる短編で、わたしも色々な説を聞きました。
その中で時々話題に上るのは、アルジェリアで出会った『グレート・ギャツビイ』のような彼氏が、パントマイムを習っている女の子を殺害したのではないか…というもの。なかなかショッキングですよね。納屋を焼いているという独白が、実は殺人を仄めかす表現だったのでは…という解釈です。
上記の説をわたしは素直になるほどなぁと思ったのですが、同時に
「それにしては彼氏が何も知らなさそうだな」とも思いました。
ミステリーなどでは、犯人の方から殺した人の話題を持ちかけることがよくありますが、それにしても食い下がり過ぎなんじゃないかと。嫉妬の話まで持ち出して…
わたしにしては珍しく(?)完全に主観ですが、彼氏が女の子に直接手は下していないんじゃないかというのが、この記事の立場です。
そして(2)について。こちらは結構はっきりしています。
主人公と彼氏がマリファナを吸う場面で、主人公は小学校の学芸会でやったお芝居を思い出しています↓
(p.190 l.19-20)僕はそこで手袋屋のおじさんの役をやった。子狐が買いにくる手袋屋のおじさんの役だ。でも子狐の持ってきたお金では手袋は買えない。
このお芝居は十中八九、新美南吉「手袋を買いに」でしょう。
*…青空文庫で全文無料で読めるよ↓
ただ、作中の描写は「手袋を買いに」と話の筋が違うのです。
具体的に言うと、元のお話では、子狐はちゃんと人間の世界のお金を持ってきていたため、おじさんはお客が子狐であると分かっていながら、手袋を売ってあげるのです。
この違いは何を意味するのか。わたしは以下3つのどれかかな…と。
A)作者の覚え違いである
B)マリファナによる記憶の混濁の表現である
(A)は…人間ですからなくはないですよね。村上春樹先生は自分でも意図せずごっちゃに覚えてしまっていることがあると書いていますし…
(B)はかなり有力です。というか多分これです笑
お芝居の描写の直後に彼氏が以下のように述べていることが根拠になります。
(p.191 l.13-16)これを吸っていると(中略)記憶の質が……」(中略)「まるで変っちゃうんです。
マリファナを吸ったことにより記憶の質が変わってしまったことを表現するために、意図的に「手袋を買いに」の筋を変えたのではという説です。
最後に(C)です。
これは言っていることそのままなのですが、「手袋を買いに」の筋が違った世界線・IF(イフ)ルートの可能世界を想起させるものなのではという説です。
なぜこのような考えに至ったかを、次の章で見ていきましょう。
おまけ)ちなみに、「手袋を買いに」の別バージョンがあるのでは?という仮説も考えましたが、初稿でも子狐の持ってきたお金では買えない…というくだりはありませんでした。
_____________________________
◆納屋=可能世界のメタファー?
さて、前章で「手袋を買いに」の筋が違うのは、可能世界を想起させるためではないかという考えを書きました。
このような考えに至った理由は、彼氏の以下の独白からです。
(p.194 l.18 - p.195 l.7)モラリティーなしに人間は存在できません。僕はモラリティーというのはいうなれば同時存在のかねあいのことじゃないかと思うんです(中略)
僕がここにいて、僕があそこにいる。僕は東京にいて、僕は同時にチュニスにいる。(中略)
「つまり君が納屋を焼くのは、モラリティーにかなった行為であるということかな?」
「正確にはそうじゃありませんね。それはモラリティーを維持するための行為なんです。
…うーん、わかるようなわからないような。
でも、モラリティー=同時存在のかねあいを維持するための行為として、納屋を焼いているということは断言されていますよね。
つまり、可能世界・パラレルワールドのバランスを保つために、納屋を焼いている。
ここで、彼氏が焼く納屋の描写を見てみます。
(p.194 l.11-12)まるでそもそもの最初からそんなもの存在もしなかったみたいにね。誰も悲しみゃしません。
我々は日頃、可能世界のことを想定して生きてはいません。
人生の節目で「あの時あっちを選んでいたら…」と思い返すことはあるかもしれませんが、今日赤い服を着たか/青い服を着たかということによるルート分岐を考え続けている人は少ないでしょう。
「焼かれるべき納屋」とは、このように生きていく上で無数に発生する”ありえたかもしれない世界”のメタファーなのではないかというのが、わたしの考えです。
_____________________________
◆女の子の消失はイレギュラーだった?
最後のトピックです!
冒頭で、彼氏が女の子に直接手を下していないのでは…と書きました。
しかし、わたしは女の子の消失に彼氏は関わっているとみています。
どういうことか。
わたしの考えは、彼氏が可能世界の象徴たる納屋を焼いたことによって、結果的に(意図せず)女の子が消失したのではないかというものです。
みなさまは”バタフライエフェクト”という現象をご存知でしょうか?
蝶の羽ばたきのような非常に小さなものが、巡り巡って遠くの場所にハリケーンのような大きな影響を与えるという現象のことです。←カオス理論×文学、という大学の講義が懐かしい。
今回もそのようなケースで、
1つの些細な”ありえたかもしれない世界”を焼いたことが引き金となり、結果的に女の子が消えてしまった or 女の子と巡り会わない世界になってしまったのでは、とわたしは考えています。
間接的な殺人、というより不慮の事故に近いかもしれないですね。
最後に、パントマイムに関する女の子の言葉を引いておきましょう。
(p.184 l.2-3)そこに蜜柑があると思いこむんじゃなくて、そこに蜜柑がないことを忘れればいいのよ。それだけ。
これも可能世界のことを示唆しているように、わたしは思えてなりません。
_____________________________
◆まとめ
本記事の内容まとめです。
●挿入されている芝居「手袋を買いに」のストーリーが違う→可能世界を想起させる表現?
●納屋=可能世界のメタファー?
●女の子は、彼氏が納屋=可能世界の1つを焼いたことによって、意図せずに消失したor巡り会わない世界になった?
_____________________________
今週もそこそこボリューミーになってしまいました…お疲れ様でした!
次回は1/15(日)更新予定です!
>今日の蛇足
「納屋を焼く」の英語タイトルは「Barn burning」とのこと。
これ、英語のだじゃれ発でタイトルが決まって、そこから物語書き始めていたりしませんかね…?
▼前回の記事です。
▼過去の人気記事です。