祈(いのり/inori)の手控え

本の考察(もとい妄言)を気ままに書く手控えです。 村上春樹作品多めの予定。

【中国行きのスロウ・ボート】考察:1959、60年は〇〇の年!

ごきげんよう、祈(いのり/inori)です。

「中国」と言われてわたしが連想するのは…「チャイナドレス」か「チャイボーグメイク」ですかね。

どうもわたしは中国の「強い美しさ」が好きみたいです。

▲ぜんぜん強くなさそう。
https://stock.adobe.com/jp/search?k=チャイナドレス&search_type=usertyped&asset_id=537710156

さて、今回じつは動物ネタでもう一本…と思っていたのですが、

オーダー(?)をいただきまして、急遽別のネタで書こうと思います。

それが村上春樹中国行きのスロウ・ボート

 

【この記事で言いたいこと】

中国行きのスロウ・ボート」は、当時の日本と中国の関係を表しているのではないか

 

取り急ぎ2ヴァージョンを読み比べてみましたので、ご興味のあるかたは続きをご覧ください!

_____________________________

◆わたしの立場

中国行きのスロウ・ボート」が日中関係を表しているのではないか…というのは、おそらくそれなりに知られた解釈なのではと思います。たしか論文もあったはず(この記事では引用しないため、改めて名前は調べませんでした。申し訳ございません)

 

わたしもこの説に全面同意です。主な理由は以下。

1)ディスコミュニケーションが強調されているから

→例:1人目の中国人教師の呼びかけに対して、模試を受けにきた日本人の子供たちはひたすら「沈黙」している/2人目の中国人の女の子と、物理的にも心理的にもすれ違っている、など

2)日付や記憶など、歴史認識に関する述懐が多いから

→冒頭に顕著。始まりからして「考古学的疑問」と言っている(『中国行きのスロウ・ボート』p.9 l.2)。

 

そして今回の記事では①ヴァージョンの違い②年代に注目して、上記の説を補強していこうと思います。

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【『世界の終り〜』の描写から】考察:村上春樹作品における”象”の意味

ごきげんよう、祈(いのり/inori)です。

動物園で好きなのは爬虫類コーナー。

▲こちらはヒョウモントカゲモドキですかね。
モルフ(品種)はブリザードが入っていそう…?

https://pixabay.com/ja/photos/ヤモリ-爬虫類-テラリウム-2299365/

…はい、ここは生き物大好きブログではないので控えます。

ということで(?)今回は村上春樹世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドの描写から、村上春樹作品における”象”の意味するところを考えていきたいと思います。

※『世界の終り〜』の作品そのものに関する考察ではありません。ご了承ください。

いつもよりは短い記事になるかな…と。 ←そんなことはなかった

ぜひお付き合いください!

 

【この記事で言いたいこと】

村上春樹作品において、”象”=深層心理の表出なのではないか

(以下、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』のページ数に関するすべての記載は、新潮文庫単行本に拠ります。)

****

◆頻出する”象”

村上春樹作品には、”象”がよく出てきますよね。

タイトルにもなっている短編「象の消滅」はもちろん、「踊る小人」、そして今回扱う『世界の終り〜』…などなど。

デビュー作『風の歌を聴け』でも、最序盤に以下のように書かれています。

講談社文庫:p.7 l.6-7)僕に書くことのできる領域はあまりにも限られたものだったからだ。例えばについて何かが書けたとしても、象使いについては何も書けないかもしれない。そういうことだ。(下線は引用者)

講談社文庫:p.8 l.14-16)うまくいけばずっと先に、何年か何十年か先に、救済された自分を発見することができるかもしれない、と。そしてその時、は平原に還り僕はより美しい言葉で世界を語り始めるだろう。(下線は引用者)

その登場頻度や登場場面を鑑みると、村上春樹作品において”象”は特別な意味を持っているのではないか…という気がしてきます。

そしてそれはどんな意味なんだろう?と考えていたときに見つけたのが、『世界の終り〜』の次の描写なのです。

 

◆数学的に攻めていく

以下、少し長いですが引用します。

場面はハードボイルド・ワンダーランド側の主人公「私」が、孫娘と冥界下りをして博士と合流し、世界の真実を聞かされるところです。

(下巻p.79 l.2-6)人間ひとりひとりはそれぞれの原理に基づいて行動をしておるです。誰一人として同じ人間はおらん。なんというか、要するにアイデンティティーの問題ですな。アイデンティティーとは何か一人ひとりの人間の過去の体験の記憶の集積によってもたらされた思考システムの独自性のことです。もっと簡単にと呼んでもよろしい。

(太字は引用者)

上記の語りから、以下のことが言えます。

アイデンティティー=思考システム(の独自性)=心・・・①

 

もう少し続きを見てみましょう。

(下巻p.79 l.14-p.80 l.2)思考システムというのはまさにそういうものなのです。(中略)

そういう細密なプログラムがあんたの中にできておるのですな。しかしそのプログラムの細かい内訳や内容についてはあんたは殆んど何も知らん。知る必要がないからです。(中略)

これはまさにブラックボックスですな。つまり我々の頭の中には人跡未踏の巨大な象の墓場のごときものが埋まっておるわけですな。

(太字は引用者)

今度は以下のことが言えますね。

思考システム=そういう細密なプログラム=ブラックボックス

=巨大な象の墓場のごときもの・・・②

 

なんだか数学の証明問題みたいになってきましたが、

ここで①と②を見比べると、次のことがわかります。

①・・・思考システム=心 である

②・・・思考システム=巨大な象の墓場のごときもの である

①と②からわかること:心=巨大な象の墓場のごときもの である・・・③

(①a=bで、②a=cならば、③b=cという理屈ですね。)

 

これで最後!博士の語りの続きを見ていきましょう。

(下巻p.80 l.4-8)いや、象の墓場という表現はよくないですな。何故ならそこは死んだ記憶の集積場ではないからです。正確には象工場と呼んだ方が近いかもしれん。そこでは無数の記憶や認識の断片(チップ)が選(よ)りわけられ、選りわけられた断片(チップ)が複雑に組みあわされて線(ライン)を作り、その線(ライン)がまた複雑に組みあわされて束(バンドル)を作り、そのバンドルがシステムを作りあげておるからです。それはまさに<工場>です。

(下線は原文では傍点/太字は引用者)

ここから象の墓場=象工場・・・④となりますから、

③と合わせて、

心=(象の墓場=)象工場・・・⑤

が成り立つと考えられます。

 

◆象=心の反映である

なお、上記の裏付けになるかもしれない描写として、作中の語りは以下のように続いています。

(下巻p.80 l.8-13)工場長はもちろんあんただが、残念ながらあんたはそこを訪問することはできん。アリスの不思議の国(ワンダーランド)と同じで、そこにもぐりこむためにはとくべつの薬が必要なわけですな。

(中略)

「そしてその象工場から発せられる指令によって我々の行動様式が決定されているというわけですね」

以上より、象工場=心であることが本文中から読み取れます。

そしてここからはわたしの意見も交えた掘り下げになりますが、

象工場は心の中でも深層心理に近いもの、作家の言葉を借りれば「別の地下室」(『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』p.105 l.9)地下2階にあたるものであることまで言えるのではないでしょうか

 

とすれば、工場から生産されるものである”象”は

深層心理から表出してきたもの、簡単な言葉を遣うなら心の反映として捉えることができるのではと思います。

 

これらは飽くまで『世界の終り〜』の描写から導き出したものであるため、

他作品でも同じことが言えるかは正直わからないのですが…

村上春樹作品を読む際に、”象”が出てきたらムムッと思っておくとよいかもしれませんね!

****

それでは本日はこの辺りで。

次週(11/27)の記事でまたお会いできればと思います!

 

今日の蛇足)ちょっとだけ時間が空いたとき、わたしはペットショップによく行きます。オウムガイがいたときにはびっくりしました。

 

▼前回の記事です。

inori-book.hatenablog.com

 

▼過去の人気記事です。

inori-book.hatenablog.com

【レキシントンの幽霊】考察(2/2):時間の固定とケイシーの素性

ごきげんよう、祈(いのり/inori)です。

髪をばっさりショートにしたところ、「ちび◯◯子ちゃん」みたいになりました。

 

それと、インスタグラム(ID:inori_book)にも記載させていただいたのですが、

本ブログが累計100PVを突破しまして。 ←嬉しいことは何度も言っていくスタイル

こんな得体の知れないブログが100回も読まれることになるとは…

一度でもご覧いただいたすべての方に感謝です。

 

****

さて、前回に引き続き、今回のテーマは村上春樹レキシントンの幽霊

主人公が幽霊に遭遇するレキシントンの家は、実は時間が止まっているのではないか…という点について、もう少し掘り下げていきます。

 

【この記事で言いたいこと】

主人公が幽霊に遭遇するレキシントンの家は、時間が止まっているのではないか

(以下、「レキシントンの幽霊」のページ数に関するすべての記載は、文藝春秋単行本に拠ります。)

 

◆前回のおさらい

以降の記事は前回の内容を踏まえてのものとなるため、ここで簡単におさらいします。

前回の記事をご覧いただいたかたは、飛ばしていただいて大丈夫です。

<前回の内容>

・主人公が幽霊に遭遇した季節は、本文中の描写から逆算すると10月=秋である。

・一方で、本文中に二度「春」という言葉が登場している=季節がずれている。

・上記の季節ずれの理由は3つほど考えられるが、わたしは”作者の意図した齟齬=レキシントンの家は、時間が春で固定されているから”だと考えている。

 

◆(今回ここから)なぜ「春」でなければならないのか

では、いきなり今回の記事の核心に入ります。

なぜ季節が春で固定されているのか。

作者名が村上””樹だから…というのも半分真面目に考えましたが、わたしは以下2つのどちらか、または両方の理由が有力と考えています。

1)主人公が初めて訪問したタイミングで、時間が固定されたから

2)歴史的事実を踏まえているから

 

まず1)ですが、

前回の記事にも書いた通り、主人公が初めてケイシーの家を訪れたのは「四月の午後」(p.13 l.5)です。

この、主人公がケイシー宅に足を踏み入れた段階から時間が固定されたと考えれば、季節は当然春になります。

(※なぜそのようなことが起こるのか、という点については次の章で述べます。)

 

次に2)ですが、

前回の記事で少しふれた通り、主人公が遭遇する幽霊の正体にはいくつかの説があります。

中でも有力視されているものが、①戦争によって亡くなった人説、②エイズによって亡くなった人説の2つです。

①について、レキシントンで戦争と言えば、「レキシントン・コンコードの戦い」が連想されますね。アメリカ独立戦争のきっかけとなった戦争です。

レキシントン・コンコードの戦い - Wikipedia

この戦いが起こったのは、1775年の4月19日なのです。

主人公がケイシー宅を初めて訪問した月と、ぴたりと重なります。

 

また②について、アメリカでエイズが初めて報告されたのは1981年の5月18日という記載がありました(以下、p.11 右ブロックのl.17-)。

https://www.eiken.co.jp/uploads/modern_media/literature/MM1409_03.pdf

こちらも、月こそちがうものの「春」という季節は一致します。

 

以上のように、有力視されている2説に関わる歴史的事実は、いずれも春に起こった出来事です。

であるならば、その出来事の記録をそのままの形で保有している家が、「春」という季節ごと出来事の記録を保っている、言い換えれば、時間を止めて色褪せないようにしていると考えることは、それほど不自然なことではないと思います。

 

◆補足:継承される記録(レコード)

某名探偵の映画のような章タイトルをつけてみましたが、前章1)、主人公がケイシー宅に足を踏み入れた段階から時間が固定された…という点について、少し補足します。

 

なぜそのようなことが起こるのかという理由ですが、それは、

家に来た段階で、主人公がレコードを引き継ぐ者になったからだと考えられます。言い換えれば、次の継承者が現れたことによって、家は時間を止め、過去の出来事を再生する機能を開始したわけです。

…いきなり厨二病全開でどうした?と思われるでしょうが、わたしは厨二病が平常運転なので問題ありません。

 

気を取り直して、ここで日本大学文理学部・武内佳代教授の説を引用します。

<武内教授の説>

●ケイシーは父から受け継いだレコード・コレクションをそのまま保存していた

●「僕」は半年ほどケイシーのレコード・コレクションの恩恵にあずかっていた

→「僕」がケイシーの存在や一族についての記録を引き受けることが暗示されている

 

レコードはもちろん音声記録媒体のことを指していますが、英語にすればそのものずばりrecord=”記録”です。

レコード(記録)の集積に惹かれ、「精神的な抵抗力を失」(p.13 l.2)って家を訪れた時点で、主人公が幽霊と遭遇する運命は決まっていたのかもしれませんね。

(p.36 l.15-p.37 l.2)僕もまた、母が亡くなったときの父とまったく同じように、ベッドに入っていつまでもこんこんと眠り続けたんだ。まるで特別な血統の儀式でも継承するみたいにね。

 

◆超妄言:ちょっぴり怖い?ケイシーの素性

最後に、再びわたしの妄想全開で締めようと思います。

ここまでの話を踏まえたとき、わたしはケイシーが既に亡くなっているのでは?と思い始めました。

なぜそのように思ったのかと言うと、ケイシーが父親を亡くしたとき、

「そんな世界でこれ以上生きていたくなんかないとさえ」(p.37 l.7)思いながら、

「時間が腐って溶けてなくなってしまうまで眠った」(p.37 l.4)と書かれているからです。

 

つまり、ケイシーは父親が亡くなった段階で(少なくとも精神的に)死亡しており、

家の時を止める機能によって、身体だけが劣化せずに残っているのではないかということです。

 

ここまで考慮すると、主人公という次の継承先が見つかり、幽霊との遭遇まで完了した結果、役目を終えたケイシーが急激に劣化していったことにも納得がいきます。

主人公と再開したケイシーが「十歳は年をとって見えた」(p.33 l.4)のは、ジェレミーと離ればなれになったことだけが理由ではないのかもしれません。

家の時を止める機能から解放されたことで、今までのリバウンドが一気に来たから…というのは、考えすぎでしょうか?

ちなみにケイシーの父親が亡くなったのは「十五年前」と明記されているので(p.36 l.7)、

「十歳は年をとって見えた」=父親が亡くなったタイミングからの「十五年」分の歳をとったというのは計算が合います。

 

そして、万一ケイシーがその運命を知った上で、主人公に継承させたのだとしたら…

「知り合ったばかりの外国人ならまぁいいか…」なんて考えが頭をよぎっていないことを祈ります。

(p.17 l.5)「悪いけれど、君しか思いつけなかったんだ」とケイシーは言った。

 

****

はい。

なんだかまた怖い話で締めてしまいましたが、いかがだったでしょうか。

掘れば掘るほどまだ先がありそうな短編で、記事を書いていてとても楽しかったです。

それではまた次週の更新(11/20予定)をお待ちいただければと思います!

 

今日の蛇足)こう考えると、レキシントンの家ってケイシーの(というより土地の?)領域展開みたいですね。

わたしが使ってみたい領域展開は「伏魔御厨子」。

でも声に出して言いたいのは「自閉円頓裹(じへいえんどんか)」。

…今回はアニメ・漫画ネタが多いですね(たまたまです)。

 

▼前回の記事です。

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【レキシントンの幽霊】考察(1/2):この家は時間が止まっている?

ごきげんよう、祈(いのり/inori)です。

みなさんは怖い体験・不思議な体験をしたことがありますか?

わたしのささやかな体験は…この記事の最後に書きますね。

****

ということで、今回扱う作品は村上春樹レキシントンの幽霊

同名の短編集『レキシントンの幽霊』に収録されています。

30ページほどの短編ですので、1時間もあればゆっくり読めてしまうのでは…未読の方はぜひ!

 

さて、この作品で描かれる幽霊の正体がいったい何なのか…ということは、本記事では扱いません。既にいくつかのステキな説が出ているようですので。

(戦争によって亡くなった人説、エイズによって亡くなった人説などが有力なようです。)

本記事で扱う内容は、主人公が幽霊に遭遇するレキシントンの家は、実は時間が止まっているのではないかというものです。

 

【この記事で言いたいこと】

主人公が幽霊に遭遇するレキシントンの家は、時間が止まっているのではないか

例によって細かく検証していきますので、それなりのボリュームになるかと

お覚悟を!

←案の定長くなりましたので、読み疲れないように2回に分けます。

(以下、「レキシントンの幽霊」のページ数に関するすべての記載は、ショートバージョン=『群像』199610月号/ロングバージョン=文藝春秋単行本に拠ります。)

 

◆季節はいつ?

いきなりですが、みなさんはこの物語を春夏秋冬いつの話だと思って読まれましたか?

わたしが参加させていただいた読書会で同様の質問をしたところ、

春=1(わたし)/夏=3/秋=2/冬=1

という人数の内訳でした。

 

実は、主人公が幽霊に遭遇した季節はかなり詳細に特定することが可能です。

答えは秋(10月)です。

なぜそこまで特定できるかというと、p.16 l.14に「知り合ってから半年ばかりあとのことだが」と記載があり、その直後の金曜日にケイシーの家を訪れているからです。

そして主人公とケイシーが初めて出会ったのは、「四月の午後」(p.13 l.5)。

つまり、知り合った4月の半年後≒10月=秋となるわけです。

 

ところが、(少なくともわたしは)この物語を春の出来事と思って読んでいました。

なぜか。

それは、本文中に二度も「春」という言葉が出てくるからです。

具体的には以下2点。

(p.29 l.11-12)地面をしめらせることを唯一の目的として降る、の雨だ。

(p.31 l.10-11)花壇に面した窓を開けると、の花のふくらみのある匂いがした。

(どちらも下線は引用者)

前者の「春の雨」というのは一種の比喩表現と捉えることが可能かもしれません。

つまり、実際に季節が春なのではなく、春に降るような雨、ということです。

ところが、後者「春の花」はどうでしょうか。

わたしは小学校でヘチマを枯らしてしまうタイプだったのでよくわかりませんが、植物の花が咲くタイミングというのは決まっているものではないでしょうか?

つまり、春の花の匂いがしたのなら、(それが別の匂いであった場合を除き)その季節は実際に春であると考えられるはずです。

 

このように、時系列の描写と風景の描写で、季節がずれているという点が、今回の気になりポイントです。

 

◆なぜ季節がずれているのか ー3つの可能性ー

ではなぜ季節がずれているのか。有力な可能性は以下3つかと思います。

1)「知り合っ」たとき=直接会ったときのことを指していないから

2)加筆によってズレが生じてしまったから(=作者のミス)

3)レキシントンの家は、時間が止まっているから

 

まず1)ですが、残念ながら否定できない可能性となります…

どういうことかというと、

上記の季節ずれは知り合った4月の半年後≒10月=秋という逆算に基づいていますが、作者の言う「知り合っ」たタイミングが、ケイシーと直接会ったタイミングの4月ではなく、もっと前かもしれないということです。

具体的には、主人公はケイシーと直接会う前に、編集部を通して手紙をもらっています。

この時期がいつなのかを特定することはおそらく不可能ですが、このタイミングが秋くらいで、かつこの時期を”知り合った”と定義しているのなら、その半年後=幽霊との遭遇が春となるため、特に齟齬はないということになります。

一方的に手紙をもらっただけの人を”知り合った”と言うかな?とは思いますが、明確な否定はできません。

…この場合、わたしの今回の記事は何の意味もないということになりますね。それでも「踊るんだよ」。

 

次に2)ですが、実はこちらの作品、初掲載時と単行本とで文章が一部異なっています。

初出の『群像』199610月号ではショートバージョンが掲載されており、単行本がロングバージョンなのです。

両バージョンの異同はいくつかありますが、最大の違いは

ケイシーと知り合った経緯がばっさりカットされている

ということでしょう。

ショートバージョンでは「彼と知り合った経緯は長くなるので省く。」(p.180 l.11)と書かれているのみで、したがって4月に初めて訪問したという情報はロングバージョンで加筆された内容ということになります。

以上より、単行本化する際に”4月に会った”という内容を付け加えたが、それにより時系列のずれが生じてしまったという可能性が出てきます。

…考えにくいですが、ヒューマンエラーの可能性はゼロとは言えないですよね。やれやれ。

 

長くなりましたが、最後の可能性としてわたしは3)を推しています。

レキシントンの家は、時間が春で固定されているから、というもの。言い換えれば、季節ずれは作者の意図した齟齬であるということです。

****

ここまでお読みいただきありがとうございました!

文字数が多くなって参りましたので、なぜ春で固定されているのかという理由に関しては次回の記事にしたいと思います。

地理や歴史の知識を使った(?)考証をしてみましたので、次週の更新をお待ちいただければ幸いです。前述の幽霊の正体に関する説を補強する材料にもなっているかも?

お楽しみに!

 

 

今日の蛇足)冒頭に書きました、わたしの不思議体験です。あんまり怖くはないと思いますが…ニガテなかたはご注意くださいね。

↓↓↓

わたしは数年前、木造の2階建てアパートに住んでいました。

1フロアに2部屋、2×2=全部で4部屋あるアパートで、わたしは2階の奥・202に居住。

202以外の部屋は、わたしが入居する時点で既に埋まっていたのですが、わたしは他の住人に、住んでいた3年間一度もお会いしたことがありません。

それどころか、生活音や話し声も一切聞いたことがないのです。宅配の音すら聞いたことがないです。

それなりに築年数の経った木造のアパートで、一切音が聞こえない…などということがあるのでしょうか?

 

隣人の存在を知ることができる機会は一度のみ。引越し業者が来ている時です。

そう、このアパートの住人は、不定期に入れ替わっているようなのです。

それもなぜか、(偶然でしょうが)わたしが家を空けている時に限って。

後に残された引越し業者さんの車や、設備を壊さないための保護シートを見て、「あら、ここの階のかたはお引越しされたのね」とわかる。

そしてふと気が付くと、知らぬ間に別の入居者さんがいらっしゃっている(これも表札や宅配ボックスから推察できるだけ)。

 

最後になりますが、1階の入り口側の部屋101には、

いつからか玄関前にベビーカーが、窓際に女の子の人形が置かれるようになったことを付け加えておきます。

まぁ、産まれる前からそういった用意をしておくことはあるでしょうしね。

物静かなご夫婦がお住まいだったのでしょう。やれやれ。

(終)

 

▼過去の人気記事です。

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【1Q84】考察:登場人物の名前には意味がある?(BOOK3/3)

ごきげんよう、祈(いのり/inori)です。

麺がすすれません。

あれが出来るかたは特殊な訓練を受けているのだと思います。

 

本記事では、村上春樹1Q84』に登場する天吾のガールフレンド(=安田恭子)が、実は教団側のスパイなのではないかという話を書いていきます。

今回でラスト(3回目)!たぶん一番面白い…はず!

 

【この記事で言いたいこと】

天吾のガールフレンド(=安田恭子)は、実は教団側のスパイなのではないか

 

【根拠】

  1. 牛河が天吾の内情を知りすぎているから ←前々回の内容。気になるかたは以下リンクから

     

    inori-book.hatenablog.com

     

  2. タマルが語る”菜食主義の猫とネズミの話”の真意が表れていると考えられるから ←前回の内容。気になるかたは以下リンクから

     

    inori-book.hatenablog.com

     

  3. 1Q84』の登場人物は名前に法則性があり、その法則に当てはめると牛河と安田恭子がリンクするから ←今回の内容

では参ります。

****

(以下、『1Q84』のページ数に関するすべての記載は、新潮文庫単行本に拠ります。)

◆名前の法則性

※大切なお知らせ:以下で記載する「あるルールに従って登場人物名を並び替えることができる」という部分は、筆者がどこかの講演会‥?で拝聴した内容となります(=筆者発の考えではありません)。本来であれば出典が不明なものを引用すべきではありませんが、方々手を尽くしても元の講演会をたどれなかったこと、およびこのまま埋もれさせてしまうにはあまりにも惜しい…と思ったことから、ここに引用させていただきます。出典をご存知のかたいらっしゃいましたら、ぜひご指摘ください。※

1Q84』の登場人物名は、以下ルールに従って並び替えることが可能と言われています。

ステップ1)登場人物名を、アルファベット表記にする。

例:青豆(あおまめ)→AOMAME

ステップ2)作者名”むらかみはるき(MURAKAMIHARUKI)”に、アルファベットの母音と子音が対応するようにあてはめる。

 

すると、↓ 以下のように配列するのが一番しっくりくるかな…と思います。

※ここから筆者の仮説となります。講演されたかたの配列意図とは異なる可能性があることをご了承ください。※

▲配列表

「MOONS」なんてあり?と思われるかもしれませんが、新潮文庫単行本の表紙には巻ごとに人名が記載されており、BOOK3後編のところに「MOONS」と記載があったため採用しています。

また同様に「ふかえり」も、BOOK2後編の表紙の記載に従い本名ではない表記にしていることを付け加えておきます。

そして本題。

下から3段目「は(HA)」の行について、牛河のペアとして一番収まりがいいのは安田ではないでしょうか。

前回、前々回の記事の内容も踏まえると、安田恭子が教団と(あるいは牛河個人と)協力関係にあった…というのは、一つの可能性として残しておいていい気がしております。

 

◆補足1:安田恭子スパイ説の弱点

ここまで3回に渡ってお読みいただいたかたには大変申し訳ないのですが、安田恭子スパイ説には、1つ大きな弱点が存在します。

それは”天吾と安田恭子の関係は、天吾が『空気さなぎ』をリライトする前から始まっている”という点です。

天吾と安田恭子の関係が初めて言及されるのは以下です。

(BOOK1前編 p.57 l.13-14)週に一度、人妻のガールフレンドが彼のアパートの部屋にやってきて、午後を一緒に過ごした。

この文章の直後で小松から『空気さなぎ』のリライトを打診されるため、天吾と安田恭子が接触した段階では、まだ天吾は教団にとって重要な人物ではなかった可能性が高いのです。

天吾が母親の姿を求めていることを察知した教団側が、母親の面影を投影できそうな人物をチョイスして天吾に接触させた…という筋書きは、少々無理があるのかもしれません。

ただし、上記への反駁として、天吾を監視していた教団側(あるいは牛河個人)が、天吾の家に無理なく出入りできる人物として安田恭子に目をつけ、後から買収したor脅して利用した、と考えることは可能かと思います。

安田恭子はお金に困っていなさそうなので買収はないかな…と個人的には考えますが、人間の欲望は際限がないものですしね。

それに、後者の”脅し”であれば、そもそも天吾との関係を旦那さんや周囲にバラされては困るでしょうし、子供がいる記述もあるため、子供に危害を加えることを示唆されては逆らえないのではないでしょうか。牛河さんがネチネチ交渉してくる様子が目に浮かびます…笑

 

◆補足2:天吾の名前に込められた意味

本筋とは一切関係ない、おまけのおまけです。

上記のように登場人物をアルファベット表記にしていたとき、天吾の名前を見て気がついたことを記載しておきます。

それは、天吾→TENGOは、固有名詞をもつ登場人物の中で唯一”むらかみはるき(MURAKAMIHARUKI)”となるパーツを持っていないということです。

あざみ(AZAMI)恩田(ONDA)深山(MIYAMA)など、かなりマイナーな?登場人物でもパーツを持っていることを踏まえると、これは意図的なものである可能性が出てきます。

また、TENGOはスペイン語で「わたしは持っている」という意味になりますスペイン語er動詞「tener」の一人称単数形。

何かを「持っている」はずの天吾が、実は何も持っていない…というのは、作者の皮肉なのでしょうか?

なお、天吾は登場人物の多くから「天吾くん」と呼ばれますが、TENGO QUEで「〜しなければならない」という意味になることも付け加えておきます。

(BOOK2前編 p.69 l.9-10)「何も持ち合わせてないよ」と天吾は言った。「魂のほかには」

「なんだかメフィストの出てくる話みたい」と彼女は言った。

 

以上、3回に渡って天吾のガールフレンド(=安田恭子)が、実は教団側のスパイなのではないかという話を書かせていただきました。

取り敢えず書きたかったことが書けてほっとしております。

そしてこのようにまとめていく中で、削ぎ落とした部分や新たな気づきもありました←トータル7,000文字くらい書いたのに…聖書から物語を捉え直す話とか、書いてみたいんですよね

いつか”BOOK4”が出るかもしれない…と、小説本編と併せて、この記事も気長にお待ちいただけたら幸いです。ありがとうございました!

(※ブログ自体はもう少し続けようと思います)

****

今日の蛇足)天吾くんのように何も持たない身軽さ、わたしは好きです。3日くらい山籠りをしてみたいですが、熊に襲われて…なんて嫌ですよね。あと多分薪とか割れない。

 

▼再掲:前々回の記事です。

inori-book.hatenablog.com

 

▼再掲:前回の記事です。

inori-book.hatenablog.com

 

【1Q84】考察:天吾は何も見えていない”ネズミ”なのではないか(BOOK2/3)

ごきげんよう、祈(いのり/inori)です。

好きな世界史用語は”ウパニシャッド哲学”です。

←意味は忘れてしまいましたが(奥義書でしたっけ?)、音の響きがかっこいいですよね。わたしも1つくらいウパニシャッドを使いたいです。

 

今回も引き続き村上春樹1Q84』に登場する天吾のガールフレンド(=安田恭子)が、実は教団側のスパイなのではないかという話を書いていきます。

 

【この記事で言いたいこと】

天吾のガールフレンド(=安田恭子)は、実は教団側のスパイなのではないか

 

【根拠】

  1. 牛河が天吾の内情を知りすぎているから ←前回の内容。気になる方は以下リンクから

     

    inori-book.hatenablog.com

     

  2. タマルが語る”菜食主義の猫とネズミの話”の真意が表れていると考えられるから ←今回の内容
  3. 1Q84』の登場人物は名前に法則性があり、その法則に当てはめると牛河と安田恭子がリンクするから ←次回の記事の内容

ではさっそく。

****

(以下、『1Q84』のページ数に関するすべての記載は、新潮文庫単行本に拠ります。)

◆猫とネズミのエピソードとは?

みなさんは「菜食主義の猫とネズミが出会った話」と聞いて、ピンときますか?

これは『1Q84』BOOK2前編第5章、タイトルもズバリ「一匹のネズミが菜食主義の猫に出会う」にて、タマルの口から語られるエピソードです。

 

内容は以下の通り。

とあるネズミが猫に出くわしてしまうが、その猫は「自分は菜食主義だから肉は食べない。だから俺に出会ったのは幸運だ」と言う。

その言葉を聞いて安心するネズミだったが、次の瞬間、猫に襲われてしまう。

今際の際で「菜食主義というのは嘘だったのか」と問うネズミに対し、猫はこう答える。

「肉を食べないというのは嘘じゃない。だからおまえを連れて帰って、レタスと交換するんだ。」

 

…何の話?となりますよね。わたしもなりました。

あのクールな青豆さんも若干混乱したようで、「その話のポイントは何なの?」とタマルに聞いています。

 

それに対しタマルが「ポイントはとくにない。」と返してこのくだりは終了するわけですが、

わたしはここにタマルの(というより作者の?)巧妙なミスディレクションがあると思っています。

 

◆キーワードは「幸運」

どういうことか。

われわれ読者はタマルから「ポイントはとくにない。」と語られることで、”なんだこれ?”とは思いつつも一応は納得してしまうわけですが、実はタマルのセリフには続きがあります。

続きのセリフは以下です。

(BOOK2前編 p.139 l.9-10)「ポイントはとくにない。さっき幸運の話題が出たから、ふとこの話を思い出したんだ。(後略。下線は引用者)

つまり、前述の猫とネズミのエピソードを、タマルは「幸運」というキーワードから連想して語っているわけです。

では、猫とネズミのエピソードを「幸運」というキーワードで捉え直すとどうなるか。

わたしは、次のようになるのではないかなと思います。

【猫とネズミのエピソードのポイント】

・同じ「幸運」という言葉でも、意味するところは立場によって違う。

・一方にとっての「幸運」が、他方にとっても「幸運」な結果をもたらすとは限らない。

(例:猫にとっての「幸運」はレタスとの交換材料が手に入ることであり、ネズミにとっての「幸運」である命を失わないこととは一致しない)

 

◆「幸運」はどこに出てくるか

ここで、少し唐突ですが『1Q84』において、このエピソードの次に「幸運」という言葉が出てくる箇所を探します。

すると、次の章であるBOOK2前編第6章に見つかります。

(BOOK2前編 p.169 l.11-14)しかし安田恭子を相手にしているときには、それほど複雑な作業は必要とされない。彼女は天吾がどんなことを求め、どんなことを求めていないのか、とりあえず呑み込んでいるみたいだった。だから彼女と巡り合えたことを、天吾は幸運だと考えていた。(下線は引用者)

…つながりましたね(つながったのか?)

先ほどの「幸運」という観点で捉え直したポイントは以下でした。

・同じ「幸運」という言葉でも、意味するところは立場によって違う。

・一方にとっての「幸運」が、他方にとっても「幸運」な結果をもたらすとは限らない。

これを天吾と安田恭子の関係にあてはめるのであれば、

天吾にとっての「幸運」=安田恭子と巡り合えたことが、彼女の意味する「幸運」とは違うのではないか、

言い換えれば、安田恭子にとっての「幸運」に照らした場合、天吾は単なるパートナー以上の価値をもつのではないかと読むことができます。

つまり、教団側に与える情報源として、価値がある。

 

なかなかいない存在に巡り合えたことを幸運と捉えているネズミ(=天吾)と、

自分が欲しいものとの交換材料を手に入れたことを幸運と捉えている猫(=安田恭子)が重なって見えるのは、わたしだけでしょうか…?

ちなみに、天吾=ネズミであるとすると、そういえば『風の歌を聴け』などに登場する人物も「鼠」と呼ばれ、小説を書いていたなぁ…などとも思いましたが、これ以上は飛躍しすぎるため止めておきます。

 

1Q84』の安田恭子スパイ説もいよいよ次回でラスト!

引き続き妄想全開で書いていきますので、殊勝なかたはぜひお付き合いください。

 

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今日の蛇足)もし好きな野菜と交換できる券のようなものがあったら、わたしはトマトと交換します。次点でアボカド。

 

▼再掲:前回の記事です。

inori-book.hatenablog.com

▼次回の記事です。

inori-book.hatenablog.com

 

【1Q84】考察:天吾のガールフレンドはスパイかも?(BOOK1/3)

はじめまして、ご覧いただきありがとうございます。祈(いのり/inori)と申します。

自動ドアに認識されないことが最近の悩みです。

 

当ブログでは本の考察(もとい妄言)を気ままに書かせていただきます。

第1回は村上春樹1Q84

この作品に登場する、天吾のガールフレンド(=安田恭子)は、実は教団側のスパイなのではないか…というのが、本記事の結論です。

 

【この記事で言いたいこと】

天吾のガールフレンド(=安田恭子)は、実は教団側のスパイなのではないか

 

根拠は以下3点です。

【根拠】

  1. 牛河が天吾の内情を知りすぎているから ←今回の内容
  2. タマルが語る”菜食主義の猫とネズミの話”の真意が表れていると考えられるから ←次回の記事の内容
  3. 1Q84』の登場人物は名前に法則性があり、その法則に当てはめると牛河と安田恭子がリンクするから ←3回目の記事の内容

↑根拠1だけで2,000文字を超えてしまったので、3回に分けます…

では頑張って書いてみますので、どうかお付き合いください!

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(以下、『1Q84』のページ数に関するすべての記載は、新潮文庫単行本に拠ります。)

ここから、各根拠の詳細説明に入ります。

まず”1.牛河が天吾の内情を知りすぎているから”という点。

BOOK2前編で突如天吾の勤める予備校にやってきて、怪しげな話を持ちかける牛河さん。村上春樹作品の中でも、かなり異質な存在と捉えてよいでしょう。←読者の中には、結構ファンも多いようですが…笑

 

そんな牛河さんですが、天吾のことを知り過ぎていると思いませんか?

天吾が長編小説を書いていることを知っているのはもちろん、ふかえりと繋がっていることや、安田恭子が天吾の前から姿を消したことさえ知っているような発言もしていました(そして実際BOOK3前編で、”ご主人から電話がかかってきて消えた”ことまで知っていることが明かされます)。

この”知り過ぎている不自然さ”こそ、わたしが本考察に至ったきっかけです。

 

牛河が天吾のことをここまで詳しく知る方法として、以下が考えられます。

A)なんらかの超自然的な力で、知ることができた

B)牛河が言う「リサーチャー」が、異常なレベルで「熱心で有能」だから、知ることができた

C)天吾の内情を知る何者かとつながっていたから、知ることができた

 

このうち、A)の場合にはわれわれ読者はお手上げなので、考慮しません。

また、B)の場合は”そういうものだ”と言われてしまえば納得せざるを得ないため、可能性としては消せませんが、これも考慮しないこととします。

 

ということで、牛河が天吾のことを詳しく知る方法として掘り下げるべきは、”C)天吾の内情を知る何者かとつながっていたから、知ることができた”です。

では、この”天吾の内情を知る何者か”とは誰でしょう?

わたしはこの人物が、天吾のガールフレンド安田恭子ではないかと考えています。

 

BOOK1後編 20章「気の毒なギリヤーク人」(p.226-)以降の天吾に関わる出来事を整理します。

(第20章)ふかえりが天吾の家に来る→帰る

(第22章)安田恭子が家に来る→夜に小松から電話で、ふかえりの行方不明を知らされる

(第24章)ふかえりからテープが届く→小松から再度の電話→金曜日に安田恭子が再度来る

(BOOK2前編 第2章)予備校に牛河が来る

(BOOK2前編 第6章)安田恭子が来なくなる→その夜、電話で安田の夫から安田恭子が「失われてしまった」ことを告げられる

 

このように見ていくと、重要な出来事の前後には必ず(およそ本筋とは関係なさそうな)安田恭子が現れていること、そして安田恭子は牛河と入れ違うように、天吾の前から消えているということがわかります。

ここから、安田恭子は教団(もしくは牛河個人)とグルであり、役目を終えたからフェードアウトした(もしくは物理的に消された)のではないかという考察妄言では?が浮かび上がってきます。

上記以外にも、疑わしい描写は何点か存在します。

(BOOK1後編 p.349 l.5-7)それでもやはり、天吾がほかの何かに気をとられていることを、彼女は見抜いたようだった。

「ここのところ、ウィスキーがかなり減っているみたいだけど」と彼女は言った。

(BOOK1後編 p.355 l.10-p.357 l.8)そのかわり今書いている小説の話をして」(中略)

「たとえば、ここではない世界には月が二個あるんだ。だから違いがわかる」

 月が空に二個浮かんでいる世界という設定は『空気さなぎ』から運び入れたものだ。(中略)彼女は言った。「つまり夜になって空を見上げて、そこに月が二個浮かんでいたら、『ああ、ここはここではない世界だな』ってわかるわけね?」

(BOOK2前編 p.60 l.2-5)川奈さんが今現在、長編小説を書いておられることは、まわりの何人かはおそらくご存じでしょう。何によらず話というのはもれるもんです」

 天吾が長編小説を書いていることを小松は知っている。彼の年上のガールフレンドも知っている。ほかに誰かいただろうか?たぶんほかにはいないはずだ。

いかがでしょう?

協力関係にあったかはさておき、天吾が安田恭子に明かした内容が教団側にも筒抜けであったことは明らかです。

次回以降の記事では、ここから一歩踏み込み、安田恭子が教団側と協力関係にあった(≒単に盗聴などをされていたわけではない)だろうということを述べていきたいと思います。

ここまでお読みいただいたみなさま、ありがとうございました!

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今日の蛇足)『1Q84』の登場人物の中ではわたしはタマルが好きです。

無骨な感じなのに、プルーストのくだりで「次回の荷物にマドレーヌを一箱入れておこう」(BOOK3後編 p.52)など、ステキな切り返しをしてくれるところにキュンとします。

 

▼次回の記事です。

inori-book.hatenablog.com