ごきげんよう、祈(いのり/inori)です。
みなさんは怖い体験・不思議な体験をしたことがありますか?
わたしのささやかな体験は…この記事の最後に書きますね。
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ということで、今回扱う作品は村上春樹「レキシントンの幽霊」。
同名の短編集『レキシントンの幽霊』に収録されています。
30ページほどの短編ですので、1時間もあればゆっくり読めてしまうのでは…未読の方はぜひ!
さて、この作品で描かれる幽霊の正体がいったい何なのか…ということは、本記事では扱いません。既にいくつかのステキな説が出ているようですので。
(戦争によって亡くなった人説、エイズによって亡くなった人説などが有力なようです。)
本記事で扱う内容は、主人公が幽霊に遭遇するレキシントンの家は、実は時間が止まっているのではないかというものです。
【この記事で言いたいこと】
主人公が幽霊に遭遇するレキシントンの家は、時間が止まっているのではないか
例によって細かく検証していきますので、それなりのボリュームになるかと…
お覚悟を!
←案の定長くなりましたので、読み疲れないように2回に分けます。
(以下、「レキシントンの幽霊」のページ数に関するすべての記載は、ショートバージョン=『群像』1996年10月号/ロングバージョン=文藝春秋単行本に拠ります。)
◆季節はいつ?
いきなりですが、みなさんはこの物語を春夏秋冬いつの話だと思って読まれましたか?
わたしが参加させていただいた読書会で同様の質問をしたところ、
春=1(わたし)/夏=3/秋=2/冬=1
という人数の内訳でした。
実は、主人公が幽霊に遭遇した季節はかなり詳細に特定することが可能です。
答えは秋(10月)です。
なぜそこまで特定できるかというと、p.16 l.14に「知り合ってから半年ばかりあとのことだが」と記載があり、その直後の金曜日にケイシーの家を訪れているからです。
そして主人公とケイシーが初めて出会ったのは、「四月の午後」(p.13 l.5)。
つまり、知り合った4月の半年後≒10月=秋となるわけです。
ところが、(少なくともわたしは)この物語を春の出来事と思って読んでいました。
なぜか。
それは、本文中に二度も「春」という言葉が出てくるからです。
具体的には以下2点。
(p.29 l.11-12)地面をしめらせることを唯一の目的として降る、春の雨だ。
(p.31 l.10-11)花壇に面した窓を開けると、春の花のふくらみのある匂いがした。
(どちらも下線は引用者)
前者の「春の雨」というのは一種の比喩表現と捉えることが可能かもしれません。
つまり、実際に季節が春なのではなく、春に降るような雨、ということです。
ところが、後者「春の花」はどうでしょうか。
わたしは小学校でヘチマを枯らしてしまうタイプだったのでよくわかりませんが、植物の花が咲くタイミングというのは決まっているものではないでしょうか?
つまり、春の花の匂いがしたのなら、(それが別の匂いであった場合を除き)その季節は実際に春であると考えられるはずです。
このように、時系列の描写と風景の描写で、季節がずれているという点が、今回の気になりポイントです。
◆なぜ季節がずれているのか ー3つの可能性ー
ではなぜ季節がずれているのか。有力な可能性は以下3つかと思います。
1)「知り合っ」たとき=直接会ったときのことを指していないから
2)加筆によってズレが生じてしまったから(=作者のミス)
3)レキシントンの家は、時間が止まっているから
まず1)ですが、残念ながら否定できない可能性となります…
どういうことかというと、
上記の季節ずれは知り合った4月の半年後≒10月=秋という逆算に基づいていますが、作者の言う「知り合っ」たタイミングが、ケイシーと直接会ったタイミングの4月ではなく、もっと前かもしれないということです。
具体的には、主人公はケイシーと直接会う前に、編集部を通して手紙をもらっています。
この時期がいつなのかを特定することはおそらく不可能ですが、このタイミングが秋くらいで、かつこの時期を”知り合った”と定義しているのなら、その半年後=幽霊との遭遇が春となるため、特に齟齬はないということになります。
一方的に手紙をもらっただけの人を”知り合った”と言うかな?とは思いますが、明確な否定はできません。
…この場合、わたしの今回の記事は何の意味もないということになりますね。それでも「踊るんだよ」。
次に2)ですが、実はこちらの作品、初掲載時と単行本とで文章が一部異なっています。
初出の『群像』1996年10月号ではショートバージョンが掲載されており、単行本がロングバージョンなのです。
両バージョンの異同はいくつかありますが、最大の違いは
ケイシーと知り合った経緯がばっさりカットされている
ということでしょう。
ショートバージョンでは「彼と知り合った経緯は長くなるので省く。」(p.180 l.11)と書かれているのみで、したがって4月に初めて訪問したという情報はロングバージョンで加筆された内容ということになります。
以上より、単行本化する際に”4月に会った”という内容を付け加えたが、それにより時系列のずれが生じてしまったという可能性が出てきます。
…考えにくいですが、ヒューマンエラーの可能性はゼロとは言えないですよね。やれやれ。
長くなりましたが、最後の可能性としてわたしは3)を推しています。
レキシントンの家は、時間が春で固定されているから、というもの。言い換えれば、季節ずれは作者の意図した齟齬であるということです。
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ここまでお読みいただきありがとうございました!
文字数が多くなって参りましたので、なぜ春で固定されているのかという理由に関しては次回の記事にしたいと思います。
地理や歴史の知識を使った(?)考証をしてみましたので、次週の更新をお待ちいただければ幸いです。前述の幽霊の正体に関する説を補強する材料にもなっているかも?
お楽しみに!
今日の蛇足)冒頭に書きました、わたしの不思議体験です。あんまり怖くはないと思いますが…ニガテなかたはご注意くださいね。
↓↓↓
わたしは数年前、木造の2階建てアパートに住んでいました。
1フロアに2部屋、2×2=全部で4部屋あるアパートで、わたしは2階の奥・202に居住。
202以外の部屋は、わたしが入居する時点で既に埋まっていたのですが、わたしは他の住人に、住んでいた3年間一度もお会いしたことがありません。
それどころか、生活音や話し声も一切聞いたことがないのです。宅配の音すら聞いたことがないです。
それなりに築年数の経った木造のアパートで、一切音が聞こえない…などということがあるのでしょうか?
隣人の存在を知ることができる機会は一度のみ。引越し業者が来ている時です。
そう、このアパートの住人は、不定期に入れ替わっているようなのです。
それもなぜか、(偶然でしょうが)わたしが家を空けている時に限って。
後に残された引越し業者さんの車や、設備を壊さないための保護シートを見て、「あら、ここの階のかたはお引越しされたのね」とわかる。
そしてふと気が付くと、知らぬ間に別の入居者さんがいらっしゃっている(これも表札や宅配ボックスから推察できるだけ)。
最後になりますが、1階の入り口側の部屋101には、
いつからか玄関前にベビーカーが、窓際に女の子の人形が置かれるようになったことを付け加えておきます。
まぁ、産まれる前からそういった用意をしておくことはあるでしょうしね。
物静かなご夫婦がお住まいだったのでしょう。やれやれ。
(終)
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