祈(いのり/inori)の手控え

本の考察(もとい妄言)を気ままに書く手控えです。 村上春樹作品多めの予定。

【『世界の終り〜』の描写から】考察:村上春樹作品における”象”の意味

ごきげんよう、祈(いのり/inori)です。

動物園で好きなのは爬虫類コーナー。

▲こちらはヒョウモントカゲモドキですかね。
モルフ(品種)はブリザードが入っていそう…?

https://pixabay.com/ja/photos/ヤモリ-爬虫類-テラリウム-2299365/

…はい、ここは生き物大好きブログではないので控えます。

ということで(?)今回は村上春樹世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドの描写から、村上春樹作品における”象”の意味するところを考えていきたいと思います。

※『世界の終り〜』の作品そのものに関する考察ではありません。ご了承ください。

いつもよりは短い記事になるかな…と。 ←そんなことはなかった

ぜひお付き合いください!

 

【この記事で言いたいこと】

村上春樹作品において、”象”=深層心理の表出なのではないか

(以下、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』のページ数に関するすべての記載は、新潮文庫単行本に拠ります。)

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◆頻出する”象”

村上春樹作品には、”象”がよく出てきますよね。

タイトルにもなっている短編「象の消滅」はもちろん、「踊る小人」、そして今回扱う『世界の終り〜』…などなど。

デビュー作『風の歌を聴け』でも、最序盤に以下のように書かれています。

講談社文庫:p.7 l.6-7)僕に書くことのできる領域はあまりにも限られたものだったからだ。例えばについて何かが書けたとしても、象使いについては何も書けないかもしれない。そういうことだ。(下線は引用者)

講談社文庫:p.8 l.14-16)うまくいけばずっと先に、何年か何十年か先に、救済された自分を発見することができるかもしれない、と。そしてその時、は平原に還り僕はより美しい言葉で世界を語り始めるだろう。(下線は引用者)

その登場頻度や登場場面を鑑みると、村上春樹作品において”象”は特別な意味を持っているのではないか…という気がしてきます。

そしてそれはどんな意味なんだろう?と考えていたときに見つけたのが、『世界の終り〜』の次の描写なのです。

 

◆数学的に攻めていく

以下、少し長いですが引用します。

場面はハードボイルド・ワンダーランド側の主人公「私」が、孫娘と冥界下りをして博士と合流し、世界の真実を聞かされるところです。

(下巻p.79 l.2-6)人間ひとりひとりはそれぞれの原理に基づいて行動をしておるです。誰一人として同じ人間はおらん。なんというか、要するにアイデンティティーの問題ですな。アイデンティティーとは何か一人ひとりの人間の過去の体験の記憶の集積によってもたらされた思考システムの独自性のことです。もっと簡単にと呼んでもよろしい。

(太字は引用者)

上記の語りから、以下のことが言えます。

アイデンティティー=思考システム(の独自性)=心・・・①

 

もう少し続きを見てみましょう。

(下巻p.79 l.14-p.80 l.2)思考システムというのはまさにそういうものなのです。(中略)

そういう細密なプログラムがあんたの中にできておるのですな。しかしそのプログラムの細かい内訳や内容についてはあんたは殆んど何も知らん。知る必要がないからです。(中略)

これはまさにブラックボックスですな。つまり我々の頭の中には人跡未踏の巨大な象の墓場のごときものが埋まっておるわけですな。

(太字は引用者)

今度は以下のことが言えますね。

思考システム=そういう細密なプログラム=ブラックボックス

=巨大な象の墓場のごときもの・・・②

 

なんだか数学の証明問題みたいになってきましたが、

ここで①と②を見比べると、次のことがわかります。

①・・・思考システム=心 である

②・・・思考システム=巨大な象の墓場のごときもの である

①と②からわかること:心=巨大な象の墓場のごときもの である・・・③

(①a=bで、②a=cならば、③b=cという理屈ですね。)

 

これで最後!博士の語りの続きを見ていきましょう。

(下巻p.80 l.4-8)いや、象の墓場という表現はよくないですな。何故ならそこは死んだ記憶の集積場ではないからです。正確には象工場と呼んだ方が近いかもしれん。そこでは無数の記憶や認識の断片(チップ)が選(よ)りわけられ、選りわけられた断片(チップ)が複雑に組みあわされて線(ライン)を作り、その線(ライン)がまた複雑に組みあわされて束(バンドル)を作り、そのバンドルがシステムを作りあげておるからです。それはまさに<工場>です。

(下線は原文では傍点/太字は引用者)

ここから象の墓場=象工場・・・④となりますから、

③と合わせて、

心=(象の墓場=)象工場・・・⑤

が成り立つと考えられます。

 

◆象=心の反映である

なお、上記の裏付けになるかもしれない描写として、作中の語りは以下のように続いています。

(下巻p.80 l.8-13)工場長はもちろんあんただが、残念ながらあんたはそこを訪問することはできん。アリスの不思議の国(ワンダーランド)と同じで、そこにもぐりこむためにはとくべつの薬が必要なわけですな。

(中略)

「そしてその象工場から発せられる指令によって我々の行動様式が決定されているというわけですね」

以上より、象工場=心であることが本文中から読み取れます。

そしてここからはわたしの意見も交えた掘り下げになりますが、

象工場は心の中でも深層心理に近いもの、作家の言葉を借りれば「別の地下室」(『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』p.105 l.9)地下2階にあたるものであることまで言えるのではないでしょうか

 

とすれば、工場から生産されるものである”象”は

深層心理から表出してきたもの、簡単な言葉を遣うなら心の反映として捉えることができるのではと思います。

 

これらは飽くまで『世界の終り〜』の描写から導き出したものであるため、

他作品でも同じことが言えるかは正直わからないのですが…

村上春樹作品を読む際に、”象”が出てきたらムムッと思っておくとよいかもしれませんね!

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それでは本日はこの辺りで。

次週(11/27)の記事でまたお会いできればと思います!

 

今日の蛇足)ちょっとだけ時間が空いたとき、わたしはペットショップによく行きます。オウムガイがいたときにはびっくりしました。

 

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